人が嫌いではないのに、歩み寄っていけない「怖れ」がある。

人を嫌いなわけではなく、親しくなることを求めているのに、うまく関係を作り上げることができない人は、「自分のほうから歩みよることが苦手」というケースが多いです。

相手のほうから自分に向かってきてくれるなら、それに対応することは出来るけれど、自分から相手に歩み寄っていけないという、「受け身」になってしまう人です。

「望み」と「行動」の方向が、一致していない。

人づきあいそのものを避けたい人が、受け身になる(拒否はしていない)場合は、「人づきあいしたくない。しかしどうしてもしなければならない場面もあるから、とりあえず受け身でいる」という姿勢になると思います。この場合、思いと行動の方向性は一致しています。意図的に人付き合いを求める方向にはいっていない、という意味で。

しかし、人づきあいを願っているのに、歩み寄りをしないので受け身になってしまうパターンは、意図して望んでいるのに、行動がそうなっていないというふうに、思いと行動の方向性が逆ですから、両者の間に、大きな振り幅がつくられます。

そして、感情がその幅の中で揺り動かさされるので、イライラもしやすくなって、いつしか「自分に歩み寄ってこない他人が悪い」かのような思い込みにも繋がりやすいといえるでしょう。

自分から歩み寄れないタイプには、おもに3つのパターンがあります。

1,甘えがある、依存的である。

考え方が少々幼くて、自分からしなければならないことである、とか相手の都合はどうか、とかを広く考えることができにくいので、シンプルに、ある意味素直に、相手に期待をし過ぎているパターンです。

2,怖れがある、負担になりたくない。

もしも、自分から歩み寄ったとしても、相手が喜ぶとは限らない。拒絶されるかもしれないし、迷惑なのに無理をさせてしまうかもしれない。そうして傷つきたくないし、気付かない鈍感な人だと思われるのは嫌だ、というように考え過ぎてしまうタイプに多いです。

3,プライドが高すぎる。

相手を自分より低く見ているところがあって、自分があの人に歩み寄るだなんてありえない、相手のほうから(付き合いたいなら)くるべきである、という考え方になりがちです。少数ですが、こういう人もいます。

このうち、1と3のタイプは、自覚しにくいです。自分がそれに該当するということも、そのために人づきあいが上手くいっていないことも含めて自覚しにくいので、それで悩むことにもなりにくいです。

つまり、「人づきあいを求めているのに自分から歩みよれない、と悩んでいる人」は、大部分が2に該当することになります

ストレートに「2そのものである人」と、「本当は2なのに、表向きは3のふりをしたい人」かの、どちらかが多いと思われます。

2に当てはまる人は、恐れを抱くに繋がる何らかの過去の経験があると思うので、その「過去の出来事」を思い返してみるとよいでしょう。

おそらく、今もなお、とらわれてしまう「感情」がみつかるはずです。その感情こそが、歩み寄ることを難しくしている原因です。

そうした分析と理解は、改善への取り組みを後押ししてくれますので、心の中を見つめてみるといいですね。

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