「過去に、やらかしたこと」の作用を、消すことはできるのか。

これまでの経験の中で、大人になった今の観点で振り返ってみると、若さゆえに「やらかしてしまったこと」は、多々あるものですよね。

相手の迷惑を考えずに、自分側の都合を押し通したり、してもらって当たり前、してくれないのは相手が悪いというように、幼い感覚での行いを、きっと誰もがしてしまっていると思います。

大人になってみると、そういう過去の幼さを反省して、もうそういうことをしないようにと意識していくと同時に、スピリチュアルな観点からとらえると、あのときの行いにより作られた「カルマ」を、取り消すことはできないものだろうとかと考えるものではないでしょうか。

実際に、そういうご相談をいただくことがときどきあります。

結論を言うなら、「取り消すことはできないが、取り返す(釣り合いをとる)ことは可能」となります。

エネルギーレベルでいうなら、基本的に、一度作られたエネルギーを、「消す」ことはできません。エネルギーは、そのままいつまでも在り続けます。けれど、作用の「釣り合いをとる」ことや、「効力を弱くする」ことなら、その後の自分の行いしだいで可能となります。

ですから「どうぞ、あまり心配しないでください」、と、そうしたこと気になさっている方には申しあげたいです。

別の行為で、釣り合いをとればいい。

釣り合いをとる、というのは、そのマイナスの穴埋めをするということです。

たとえばスポーツの試合で、相手に10点取られた(自分が10点を献上してしまった)という、過去の事実は変えられなくても、そこから自分も10点取っていけば、相手の優位性がなくなります。

スコアは10対10となって、競うという意味では振り出しにもどったという表現がつかわれるけれど、お互いに10点ずつとったという事実はそのまま残りますよね。穴埋めをして、釣り合いをとるというのは、それと似ています。

放ったエネルギーは、消えることはないのですが、そうして別の行為でバランスをとることになっていますし、意図してそうすることもできますから、あまり心配しなくても、その後の心掛けで十分に追いつけます。

そして、人間は誰もが未熟なのだから、そうした「やらかし」は想定内です。そのために、時間というしくみがこの世にはあって、後から気づくという機会を与えられて、挽回のチャンスも同時に与えられていることになります。

過去の「それ」に、エネルギーを注ぎ続けない。

効力を弱くするというのは、エネルギーとして作り出されたそれを、活性化し続けるようなことをやめる、ということです。

過去のそのことに、後からエネルギーを注ぎ足すような行いをしない、同じ繰り返しをしない、必要以上に気にすることで、自分の中でその印象を強くするようなことも控えるようにします。

たとえば、誰かを妬んだり恨んだりする気持ちを抱いたとして、その後も同様の思いを延々と放ってしまうと、「その感情に、自分がエネルギーを注ぎ続けている」ことになり、「その感情がしずまるのを妨げて、アクティブ(動作中)にしている」ことになります。

この作用のしくみに、気づくことは大事です。

大きな感情を切り換えることは難しいですが、思いのエネルギーをそこに重ねていかないようにすれば、(放った感情のエネルギーは在り続けるので、消えることにはなりませんが)ほぼ効力を無くすくらいにまでに、作用を弱めることは可能です。

誰もが、日々、たくさんの思いを放っていきます。特定のそれに意識を向けなければ、他のさまざまな思いが放たれることで、それの比率はどんどん下がっていきますよね。

そうしたエネルギーのバランスで、うまく収まっていくようになったり、他のことが覆ってくれたりと、調整がなされていくようになるものです。

この人生の長い時間のうちで、誰もが、意識的であれ無意識であれ、いろいろやらかしてしまうものです。そういう未熟さがあるからこそ、この世で学びをしているとも言えます。

けれど、未熟な部分ばかりではなく、素晴らしい部分もたくさんあって、素晴らしいエネルギーを放つ行為もたくさん重ねていますから、そのあたりのバランスはうまくとられるようになっているのでしょう。

過去について反省すべきところは、反省することが大事です。

けれど、いつまでも、過去のひとつかふたつの行いについて、必要以上の罪悪感で怯えるようなとらわれからは抜けていき、

反省したり、後悔したりする気持ちを、これからの人生に反映させていくようににしよう、取り返すような生き方をしていこうという姿勢で、未来に目をむけていくといいですよね。

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