得るための行動がとれないのは、「得ることに恐れ」をもっている。

「たくさんのものを得たい、手に入れたい」という気持ちがありながらも、そのための行動を取ろうとしないのは矛盾していますよね。

しかし、かなり多くの人が、そういう矛盾を持っていて、自分の望みと違う姿勢になって必要な行動を起こしていません

なぜそうなってしまうのか。おそらくは「得ることに恐れがある」のです。

自覚していないくらいの深いところに「得てしまうと××になってしまう」という怖れがあって、得たいけれども得られないように留めてしまう、相反する姿勢をとってしまうのでしょう。

水瓶をもつ女性

得ることで、失うものがでてくるという思い。

なぜ、得るための行動がとれないのか。

どのような行動を選択したらわからないので、行動できないという場合はまた別なのですが「この行動をとれば、このような結果を得られる(可能性が高い)」と、わかっているのにそうしないなら、

得ることそのものが怖いのか、または、得ることによって派生してくる別の何かが怖いのでしょう。

1,「目標を失う」と思ってしまう。

頑張りというプロセスに身を置くのが好きな方は、意外とこのパターンにはまっています。

得たいのは勿論だけれども、しかし、同時に「頑張りたい」のです。頑張る自分で在り続けたいと思っています。しかし、得てしまうと、そこで行動に一区切りついてしまうことになります。

本人的には「自分は、理想の高い完璧主義なので収穫を先延ばしにしている」と思っていますが、実際の理由は、「そこで自分が燃え尽きて、目標を失うことが怖い」のです。

2,手に入れた後の「失う可能性」が心配になる。

すべてのものごとは変化しますから、得たとしてもその後はどうなるかは未知数です。手に入れても、失うこともあり得ますよね。

手に入れて、所持するものが多くなるほど、失う可能性も増えてしまうと考えてしまうタイプの人がいます。

「得たい」という気持ちがあっても、「得るとその分、失う可能性もでてくる」ので、ならば最初から諦めるほうがいいと、行動を起こしません。手に入らない辛さのほうが、得たものを失うかもという恐れよりも楽だという認識になっていると思われます。

3,嫉妬から攻撃されるのが怖い。

その物なり成果なりという対象は手に入れたいけれど、そうすることで嫉妬されて、人間関係が崩れてしまうことを恐れてしまうことがあります。女性同士の横繋がりの関係は、同じであるという共感で成立していることも多いので、その関係性が変化することが怖いと感じてしまう人は少なくないです。

4,弱い立場のままでいたい。

得たいという気持ちはあっても、今の得ていない状態でメリットがあると、そちらを手放すのが惜しくなるという気持ちもでてきます。

「得ていないという立場の、弱い自分」でいることで、たとえば、周囲の人から何かと気に掛けてもらえるとか、助けてもらえることがあるとすれば、「もしも、得たことで自分が強くなったら、もう気に掛けてもらえないのだろうか」という怖れがでてきます。

恐れはそのままで、得る価値にフォーカスする。

本人の表面的な状態としては、「手に入れたいのに、できなくて苦しい」のだけれども、客観的に現実をみれば「手に入れるための行動を、していない(避けている)」ときは、上記のどれかが心の中にあるようです。

3の「嫉妬が怖い」パターンは自覚しやすいですが、1、2、4は、改めて考えてみない限りは気づきにくいかもしれません。

それぞれ中身は少しずつ違っていても、どれも皆「恐れ」があり、それはすべて「失うという恐れ」です。

得ることの裏側に、失う可能性がセットになっていて、そちらを恐れているので、得ることにブレーキが掛かってしまうんですね。得なければ、その恐れを覚えなくてすむという防御の気持ちが行動を押しとどめてしまいます。

こういうときに、恐れをなくしてから行動すればいい!と考えてしまうかもしれませんが、その取り組み方は現実的ではありません。なぜなら得ることセットになっている恐れを、得るより前に、セットのうちの恐れのみを抜き出して除くなどという、「たら」「れば」の未知数だらけ、「あれをして」「これをして、次に・・・」というプロセスだらけの計画は、実行するのが難しいです。得ることも簡単ではないけれども、それより何倍も難しい行動になってしまいます。

ではどうするのがよいのか。

恐れがあっても、恐れをなくそうとせずに「そのまま」で、得たいなら得るための行動をとってみることです。恐れを持ったままでも行動はできます。そして、行動してみたら、「恐れはでてくるが、しかし思っていたほどの大きいものではない」と気づくことができるでしょう。

恐れ自体は減らないけれども、行動することによって発生してくるメリットが、心に占める「比率」を下げる働きをしてくれるからです。

行動してみて、わかることがある。

こういうことは、頭で考えるよりも、実際に行動してみてわかることです。確かに恐れもでてくるのです。けれど、それ以上に、行動する以前には想像もしていない範囲に、「次の可能性という広がり」が見えてきたら、そちらに向かっていきたくなってくるのです。可能性への意欲や期待感が、恐れに対して「そのままでいい」と思える「勇気」となって、自分を支えてくれるようになります。

人は皆、心の底に何らかの恐れを抱えているけれど、同時に、成長していきたいというたましいの思いも抱えています。どちらに比重が置かれるかということです。その人の性格にもよりますし、状況にもよりますし、年齢や立場によってもかわります。

何が正しいということはありません。その人においての、その時点でのベストを都度、選んでいくことが大切です。恐れを経験するのも学びです。そこから分かることはたくさんあります。ですが、恐れをもったままでも行動をしてみると、やはり「行動したことによってわかる領域」というものがあって、そこに見える景色の広がりは格別なものがあります。

無理をする必要はありません。何でも行動すればいいということでもないです。しかし、自分の心は、自分の人生をどのように運ばせていきたいと思っているだろうかと考えてみれば、心が求めているものは、今より広く可能性のある場所に身を置くことや、その景色を見るという経験をすることではないかなと思うのです

こうすべきという正解はありません。自分にとっての、現時点での最善を見いだしていくことですね。

コメント

  1. 言葉の宇宙 より:

    リカコさん

    いつもメッセージを読んでいます。素敵なメッセージをありがとうございます。
    今日の「得るための行動がとれないのは、「得ることに恐れ」をもっている。」は、
    まさに自分の気持ちが表面化されたようで、
    自分が何を考えていたのかが整理でき、素直になれました。

    自分の中で気づいたこと。
    自分の中で大切にしたいと思うこと。
    自分が変わりたいと願っていること。

    その自分の気づきに、
    怖いからといって面倒くさがらずに、
    とことん素直に付き合って
    行動をとってみることの勇気をだして生きていきたいと思います。

    • リカコ リカコ より:

      怖れの気持ちそのものは、ある程度はどうしてもでてきてしまうものなので、

      ・その前提で、自分の思いを見つめてみたり、
      ・怖れの気持ちがあっても(その気持ちをもったままで)行動できそうなことはないかと考えてみたり、
      ・一人では怖れがあっても、複数で行動するなら平気という場合もあるかもしれませんし、

      自分に合うスタイルを見つけていくのがいいでしょうね(^_^)。