古いという感覚は、この世の「時間というしくみ」が生み出すもの。

この世という場所では、すべてのものが動いていき、変化し続けていきます。同じ状態がたもたれることがないのは、「時間の経過」があるためです。

時間というしくみは、この世特有のものであり、霊的な世界には、こちらの感覚と同様の時間というものはありません。

そのため、この世にいる私たちは、ものごとに対する印象として、時間が経過するにつれて「古さという概念」が生まれてしまいます。

どんなに素晴らしいものも、効果的な手法も、役立つ知識や知恵もすべて、いつかは古くなってしまうことは避けられず、しくみとして「そういうもの」なのです。

古くなるのは当然。それを悩みにしないこと。

古くなると、(以前と同レベルでは)役立たなくなったり、目立たなくなったり、当てはまらなくなったり、しっくりこなくなったりします。

時間というしくみがもたらす変化ですから、そこを「なぜ?」と考えても、「古くなったから」以上の説明はつきにくいです。

この世という場所では、どんなものも必ず「いつかは古くなる」ことは止められないし、変えられないけれど、「古いことは、悪いことではない」ですよね。その手法や知識をつかってやってきた、これまでの経験を否定するものではないのですから。

どんなこともそうなっていく、そういうもの、と分かっておけば、「ただ、それだけのこと」に過ぎません。そこを悩みにしてしまわないことです。そして、必要に応じて工夫をすればいいですよね。

むしろ、古いことのほうが、過去の事実というデータがたくさんあって、活用や応用はしやすい場合も多いですよ。

新しさを加える。または、古さをいかす。

悩みにせずに、必要に応じて工夫をするとは、具体的には以下のようなことです。

古くて目立たなくなったことを変えたいならば、新しい何かを加えたり、組み合わせたりして、アレンジしていくことが可能です。

世の中にある「商品」のほとんどは、そうして常に改良が加えられています。食べ物は、少しずつおいしくなったり、道具は、少しずつ便利になったりして、進化しています。

または、新しさが求められない使い方でそれをいかすこともできます。昔ながらのものがいい、使い慣れているものが安心だというニーズは一定数あります。万人受けはしなくなっても、一部の層にあうように特化するという工夫もできます。

たとえば、火を付ける道具といえば、ほぼ、ライターが使われる時代でも、マッチのニーズも、比率は少ないとしてもゼロにはなりません。

新しさが必ずしも歓迎されるとは限らず、歴史があることが求められたり優遇されたりすることもあります。

時間というしくみがあるこの世では、どんなものも、いつかは古くなってしまうけれども、それは悪いことではないし、新しいのがいいということでもない、それぞれであるという価値の基準を、しっかりもっておくことですね。

新しさというわかりやすい刺激に、関心をもってしまうことは多々あるけれども、古さの安心や安定もまた代えがたいものがあり、どちらもそれぞれ素晴らしい価値があります

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