この世という「時間」がある場所で、たましいは常に学び成長している。

スピリチュアルな観点からすれば、私たち人間にとって、この世は「たましいの学びの場」です。

そのために、この世という場所には、「時間」というしくみが用意されています。

「同じ要素をもつもの同士が引き合うという、波長の法則」と、「原因と結果が結びつくしくみである、カルマの法則」により、この世の出来事は展開していきます。

誰もが、その時々の自分に見合った学びにとりくむようになっていて、ふさわしいタイミングでふさわしい出来事が、関わりをもってくるようになります。

学びの場であるこの世には「時間」というしくみがあります。

それはつまり、「変化をしていく」しくみです。

この世のものごとはすべて、時間の流れによって、常に変化していきます。物事も、人も、ひとときも同じ状態に留まることはありません。

変化とは、言い換えれば成長です。成長があれば、その度合いに見合った学びが、新たに与えられていくようになっています。つまり、この世という学びの場所は、常に(時間によって)変化していくようになっていますから、それにあわせた新たな学びが与えられ続ける場所なのです。

私たちの、たましいの部分はそのことをわかっているけれど、表面的な人としての感性においては、別の感情がでてくるものです。「でも、私は今の状態に満足していて変わりたくない。これ以上は望んでいない」と、そのままを望みたくなる場合もあるでしょう。

けれどそれは、個人的な「人としての、感情による思い」であり、

深いところにある「たましいの目指していること」は、別のものがあるのです。

意識の表面にある個人的な感情は、私たちにも自覚しやすいのですが、深いところにある本質的なたましいの領域のことは、なかなか自覚はできません。そのため、こうした内容を頭では理解していても、実感して納得するのは難しいのですが・・・、いずれにしても、その人にふさわしい学びへと、自然に導かれていくようになっています。

人は、人生という与えられた時間において、どこまでも成長し続けますから、どこまでも学び続けるようになっています。

しかし、「学び」といっても、必ずしも苦労や忍耐を伴うわけではありません。なぜなら、楽しみや喜びからも学べることはありますし、むしろ、そうした経験でしか学べないこともたくさんあるからです。

さまざまな経験、さまざまな喜怒哀楽を通して、成長していくことを、私たちのたましいは目指しているんですね。

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