備えている個性や特徴を、どうあらわしていくか。

人は皆、たましいの存在なので、誰もが、たましいの領域から備えてきた「個性」「特徴」がを内包しています。

どんなことが得意か、どんな分野を好むか、こうした個性の特徴は、育っていく過程の経験から作られていくように思えますよね。

もちろんそういう面もありますが、後天的な影響よりも、先天的に備えている本質のあらわれのほうが優先して大きい、というのが、これまでたくさんの方を霊査したことから統計的にわかってきた、私の見解です。

先天的にたくさんの「種」が備わっていて、そのうちのどれが大きく育っていくかが、後の環境や状況との兼ね合いで、変わっていくというところでしょうか。

最近のできごとでは、「パンダの赤ちゃん」のようすが、象徴的だなと思いました。

生まれてまもなくは、説明がないと、種類がまったくわかりませんが、時間とともに白黒があらわれて、パンダらしくなりましたよね。

あの模様は、最初から備わっている要素が、だんたんと出てきたもので、外のようすに影響されたものではありません。

私たちも同じように、この世で過ごす人生の時間のどこかで、備えているたましいの個性のいろんな面が、外の状況や環境に応じて、表面にでてくるようになっています。

つまり、生まれてから後の、時間の経過というしくみと、たくさんの経験が、私たちが備えている性質を引き出してくれているし、または、あらわす機会を与えられている、とも言えます。

生まれたばかりのパンダの見た目が、種類がまったくわからないように(^_^;)、私たち人間も、年が若いうちは、自分の個性がよくわからないものです。

そのため、若いころは、自分が何者であるかと悩んだり、自分探しをしたくなる人もいるのでしょうれども、年齢を重ねていけば、いろいろな経験をとおして、自分らしさがあらわれるようになり、自分というものがわかるようになっていきます。

そうした「あらわれのプロセス」を経験として学んでいるのが、私たちの人生ということです。

しかし、外の要素がまったく関連しないということではないですし、努力をしないと簡単にはあらわれてくれない性質もあります。

そのあたり、人の性質は、パンダさんよりもかなり複雑で、時間の経過だけでなく、自分の意思や、後天的な経験が反映する度合いはずっと大きいので、本質をうけいれつつ、それらをよりよい形で発揮していくという姿勢で、この人生を進んでいきたいものですね。

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