人間らしさが、霊的な学びの動機にもなっている。

私たち人間は、この世で人としての学びをしている、(ということは)何かしらの未熟さをもった存在です。

誰もが、たましいのレベルの意識では、「人生の経験を通して、未熟さを昇華させていくこと」望んでいるものですが、

表面的な人間の意識としては、「あれをしたい」「これを手にいれたい」「こんな経験をしたい」と、物質的なことに向かい、心の中を忙しくしています。

これらは、霊的な観点からすれば、この世的な事柄にとらわれている「未熟さ」といえなくもないですが、同時に「人間らしさ」でもあります。

こういう要素を遠ざけて消滅させることが、霊的な成長に繋がっていくかのように、一見、思えてしまう・・・かもしれませんが、

こういう要素を通して、思い、発言、行動が重ねられることとなり、いろいろな現実を経験していく中に、霊的な学びが含まれているものではないでしょうか。

ならば、学びのために、そうした要素が必要だということになります。

それがあるから行動の動機がつくられ、学びが進んでいく面もありますからね。

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