自分と守護霊は、たましいの大元(グループソウル)を同じとする、深い繋がりをもっている関係になります。
この人生を経験するという学びをしている自分を、霊的な視点をもって見守り導くことが、守護霊の役割です。
守護霊は、この人生を見守り導く役割。
守護霊という言葉の中に、「まもり」という文字が入っていることから、自分のこの人生を「護衛」してくれるスーパーヒーローのようなイメージを、つい抱いてしまうものではありますが、
守護霊の役割は、困難にあわないように護ってくれるものではなく、
この人生という学びが、行われていくことのサポートです。
だからといって、困難にあったときに、見放すとか、何もしないという意味ではないです。
自分の学びに見合ったサポートは行われてはいくとしても、それは、霊的な観点からのものですから、「この部分を変えてほしい」「この件の答えを教えてほしい」と望むことへのあらわれには、ならないことがほとんどです。
「守」「護」という文字のイメージからすると、それだとちょっとものたりない感覚になるかもしれないけれど、
仮に、何でも指示されて、護ってもらえて、きっちりと定規で線を引くような人生の進み方になっていくとしたら、
それもまた別の意味で困難になりそうですよね(-_-)。
そう考えてみれば、今の、自力をいかして人生を進んでいき、必要に応じてサポートが与えられるというこの状態が、ちょうど良く、ふさわしいのでしょう。
ときどき、自分に甘くなったり、サボったり、投げやりになったりすることも、自由に行える(ことが、良いかどうかは微妙ではありますが・・・笑)、この状態は、ありがたいことなのだと思います。
そうした自由が与えられていき、自主性が尊重されている中で、
経験すべきことがめぐってきて、学ぶべきことが進んでいくなら、
それこそが、誰もが「霊的に護られている」ことのあらわれだと思うのです。
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