誰かの役にたっている実感が、「喜び」となる。

この世は、自分と他人が関わることで学びをえていく場所です。

自分とその他という区分けがあるから、そこで比較という行為ができて、自分のことが分かったり、相手のことが推察できたりしますよね。

他人との関わりは、自分との違いゆえに、わかりにくいことも、面倒なことも多いけれど、逆にその分だけ、関わりを通して、知らなかったことを知ったり、考え方の幅ができたりするメリットもたくさんあります。

ですが、気持ちの上では、負担になることのほうが大きく感じられて、得られていることのほうは、頑張ってそういう考え方をしないと、なかなか気づきにくいもののように思います。

「大変なことだけが、目立つ」のが、この世のしくみでもありますね。

そういう大変なことがたくさんあっても、それでも関わりを持とうとするのは、そうしないと、ものごとが成立しないからという現実もあるけれども、やはり、関わりの中に「喜び」があるからだと思うのです。

他人との関わりにおいて、喜びを感じられる瞬間とは、自分のしたことが誰かの役にたったと思える瞬間ではないでしょうか。

「楽しさ」は、そういうことと無関係に、自分が好きなことをすれば得られます。

ですが、喜びという言葉をあえて選ぶとしたら、「楽しさを核として、もう一層がさらにコーティングされている」ような、達成感とか満足感が加わっているときに、ピッタリくるように思うのです。

相手が喜んでくれてよかったという、相手への思いやりだったり、または、自分が(相手を助けることで)役割を果たせたと思うと安心したという、自分の不安感の解消だったり。

受け止め方はいろいろだと思うけれども、自分という存在が成すなにかによって、貢献できたということが、存在意義の肯定感になるのだろうと思います。

その肯定感を別の言葉で表すならば、「自信」ですね。

誰かのために自分が役立ったという実感が重なると、自分の存在意義を信じられるようになります。

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