奇跡のようなできごとが起こるときの共通点。

日常の中で起こることのほとんどは、いつもと同じくり返しだったり、この行動をとれば結果はこうなるだろうと、予測できる範囲のことだったり。

そういう中で、ときどき「びっくりするような奇跡的なできごと」が起こって、人生の転機になったり、大きな刺激になったりすることがあります。

こういう「不思議なタイミング」には、ほとんどのケースで「霊界の働きかけ」が少し関わっています。

ですが、霊界が起こしてくれている、のではないです。

これらのできごとに繋がる元の動きは、自分自身がしているのです。

黒い翼の天使と白い鳥

行動をたくさんしている時期に、奇跡は起こる?

ご自分の過去で「びっくりするような不思議なことが、思いかげず起こった」とか「奇跡のようなめぐりあわせが起こった」ときを振り返ってみると、

だいたい、その時期はとても忙しくて、何かに追われるようにバタバタ動いていたとか、やりたいことがあってそのことに向かって一生懸命だったとか、

行動をたくさんしている時期に、そういうできごとが起こっているという、共通性がみられるのではないでしょうか。

または、周囲にいる友人などで「こんな不思議なことが起こった」とか「いつも奇跡的なめぐりあわせになっている」人は、まず例外なく「行動的なタイプ」だろうと思います。

やはり「カルマの法則」は関連します。

この世で展開するできごとは、自分のした行いが、自分に戻ってくるという「カルマの法則」よばれるしくみが関連しています。

(このしくみはスピリチュアリズムではおなじみの知識なので、ここでの説明は省略します。詳しく知りたい方は「カルマの法則」のカテゴリーから過去記事をご覧になってみてください)

このしくみがありますから、これまでに(前世も含めて)自分がしてきたことの蓄積が「種」となり、それらが成長して「実り」となって関わりをもってくるのです。

種となりうる行いは、ずっと前からの蓄積もあるので、不思議なことが起こる直前の動きが、その出来事を起こしているとは限りません。おそらく、もっと前の動きが関連しているケースのほうが多いでしょう。

それなのに、不思議で奇跡的なことが起こる直前に、たくさんの行動をとっている共通点がみられるのは、これは「種まき」の行動ではなくて、

これは「実りを手にする機会」を得るための行動なのです

黒い翼の天使

奇跡のようなできごとには、関わる相手がいるはず。

不思議で奇跡的なことが起こるときは、その大部分で「相手がいる」と思います。「以前から知っている人から、突然○○をしてもらった」とか「はじめてあった人なのに、不思議なことに○○が起こった」とか、

何らかの形で「人」が関わっていますよね

自分で行動をして手に入れたものは、とても素晴らしく価値があるものでも、自分でわかって動いているので、それを奇跡的だとは認識しないものです。

びっくりするのは、自分が予測していないためで、それは、外からやってくるか、外の人が関わりをもっていることになりますよね。

奇跡が起こるときは、行動をたくさんしている時期であるという共通点は、

この「人との関わりが増えている」という条件と関連しているということです。

人と関わりをもつことの価値は、本当に大きいです。

それまでの行いの蓄積が「種まき」となり、ここは(すべての行いが該当しますから)自分ひとりでもできることです。

けれど、びっくりするような形、思いがけない形で、自分のところへ「実り」となってやってくるときには「相手」が必要であるので、

たくさん行動しているときのほうが、人と関わる機会も広く作られていきますから、できごとが起こりやすくなるのでしょう。

霊界が機会を「コーディネイト」してくれることも。

この記事の冒頭で、こうしたできごとには、霊界の働きかけが「少し」関わっているという記載をしました。

こうした展開に「結びつけるコーディネイト的な動き」「アレンジ」として、霊界の存在が動いているらしいようすが見えてくることが多いからです。

どこにいって、何をすることによって、誰からどのようにという一連の動きには、ある程度の「お膳立て」が必要となるでしょうからね。

けれど、この出来事そのものを、無から有を生みだすように、霊界が「つくりだしてくれているのではない」ということです。

その意味で「少し」という表現を用いました。

まとめると

1,奇跡的なできごとの「元」となるのは、やはり自分の行いであり、自分の普段からの生き方です。普段からの行動がやはり大事なことです。これは常にいろいろな記事で書いていることですね。

2,それらが「実り」「結果」になるためには、自発的なものとしては「人と関わる機会」が必要です。奇跡のようなことといっても、無から有がふってくるわけではないので、対象となる相手がいるからです。

3,それらの要素を結びつけてくれることに「霊界の働きかけ」が実は加わっています。

スピリチュアルに関心がある人は、3番だけでなされるようにイメージしがちですけれど、また、そのように思いたくなるものなのでしょうけれど、

自分の行いがあり、相手がいてくれて、

それをコーディネイトしてくれる役割の霊がいて、

このつながりのしくみで、ものごとはなされているのです。

コメント

  1. 明太子 より:

    今日はびっくりするような出来事が
    6回起きました!
    (1回は良くないこと、5回はなんとなく望んでいたものが手に入ったこと)
    自分は良い事も悪い事も立て続けに起こりやすいです。

    それで思ったのですが、
    奇跡的な事が起こるというのは、
    「実り」の容量が一定以上溜まっているところに
    引き金を引くような事に似ているんじゃないかと言うことです。

    引き金は「行動」によって引かれるので
    行動的なタイプにいろんな事が起こりやすいのかなーと思いました。

    • リカコ リカコ より:

      明太子さま

      >「実り」の容量が一定以上溜まっているところに

      そうですね、よくブログでも書いていることですが、行いが積み重なって「しきい値」をこえたところで、コップから水があふれるように、現象化が起こっていくという形になっていくようです。

      器を満たすための材料も行いで、きっかけとなる「引き金」となることも行いであるので、

      日々の、思い、発言、行動などの蓄積が、出来事として反映してくということですね。