今の時代は、人前にでることや、自分を主張することに躊躇がない人も多いですし、そうしたアピールが一般的になってきたこともあり、
人気者になりたいとか、有名になりたいという願望をもつ人は、昔と比べて増えているように思います。
実際のところ、大勢から好感を持たれたり、よく知られた存在になったりすることは、たくさんの優位性が生まれます。
知られていることは、日常においても役立ちます。
たとえばテレビに出るとか、日本中の人に知られているとかの、規模の大きなものではなくても、その地域内や業界内で、それなりに知られている存在になれば、他力を自分のところへ集められるので、
自力×他力という、大きな効果をつくることができるからです。
知られていることで、選ばれる確率が少しUPする。
多くの人にとって、知っていることは、それを選ぶことの規準のひとつになります。知らないものと、知っているものがあれば、後者のほうが「安心する感覚が生じる」ものではないでしょうか。
自分がたくさんの人に知られていれば、「思い出してもらいやすい」「親近感をもたれやすい」「(相手にとっての)判断基準のひとつになる」ため、
たくさんの中から、選んでもらう対象になる確率が高まります。
わかりやすさのために、物に例えてみると。
たとえば、スーパーに買い物にいって「食パンを買うことは決めているけれど、メーカーにもブランドにもこだわりがない」場合、テレビCMや雑誌広告で見たことのなる品を、つい手にとることがあるものです。
A社、B社、C社の、どちらでもいい場合「いつもCMでみている」とか、「どのスーパーにも並んでいるので頻繁に見かける」A社のものを、なんとなく買ってしまうことってありますよね。
質の比較ではなく、好きかどうかという思い入れもさほどなくても、知っているものを選んでしまうことはよくあります。
同じ状況になったときに、皆がそういう買い方をするとは限らず、値段で選ぶ人もいるでしょうし、別の規準で選ぶ人もいるとしても、
一定数の人は、知っているものに自然に手が伸びることを考えれば「知られていることの効果は決して小さくない」ことがわかります。
これは「物」を対象にした例えですが、「人」であっても同じことです。
知られていることで、活動が有利になったり、大勢からの他力が集まってきて、手伝ってもらえることがでてきたりします。
自分を知ってもらう、という考え方を。
自分の活動や、自分という存在を、目にしてもらえる機会をひとつでも多くしていけば、「何かのときに思い出してもらえる」「親近感をもってもらえる」という形で、他力が集まりやすくなります。
別に大げさなことはなく、自分がしたいことや、伝えたいことの質の向上とともに、それを「知ってもらう」目的の動きを少し意識していけばいいのだと思います。
私は、先日の選挙のときに、投票所でこのことを実感しました。
道議(県議)くらいは、自分が投票しない候補者でも、名前や活動などだいたい知っている方が多いけれど、市議になると正直、個人レベルでの主張や活動はよく知らない候補者も多かったです。
しかし、候補者一覧をみて「この人はそういえば、以前に街頭演説をしていたのを見た」「選挙カーとすれ違ったことがある」というお名前がいくつか目に留まりました。
少し、親近感がわきました。たった一度の記憶でも、知っていることの優位性というのはすごいですね。
投票しようと思う特定の方がいなければ、こうした「ちょっとしたこと」が判断基準となることもあるかもしれず、
これは選挙に限らず、日常の中のいろいろな場面で起こっていることなのだろうなと改めて思ったのです。
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