何が正しいのかは、誰にもわからないのです。そういうしくみになっています。
多くの人は(スピリチュアルな知識をたくさんもっている方でさえも)、守護霊や、霊界の存在が「正解の答え」をもっていると思っているかもしれませんし、思いたいかもしれませんが、絶対の正解は存在しません。
そうした存在は、正しさという基準で、人を導いているわけではないからです。
そもそも、何がどうなると正しいといえるのか。
こうした問いには、明確な答えが存在しません。
正しいか、間違いかという、比較は、この世特有のものであり、霊界において重要な基準ではありません。
比較という感覚は、時間が生み出すものですから、この世だからこそ(私たちが)わかる感覚です。
つまり、この世という比較の世界で、私たちが「正しい」と思っていることは、それほど明確な基準もなく、絶対的なものでもない、自分の内的な定義付けだったり、この世の生活にあわせた便宜上の基準だったり、です。
この世という現実を俯瞰して眺めるような、霊的な視点で眺めるとしたなら、(そうした生活上の基準とは違う解釈となりますから)何が正しいのかは、誰にもわからず・・・、誰も、わかる必要がないこと、なのでしょうね。
それを求めるために時間を費やすのではなく、それぞれが自分が納得できるような生き方を、人生という時間に込めて生きることが大事ではないでしょうか。
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