控えめすぎる人などに「受け身でいると流される」というアドバイスがあります。自主性をもつことをうながす表現で、「流されるのはよくないよ」とか「流されると損をするよ」ということですよね。
最近、この言葉について考える機会がありまして…。今の時代、周囲に流されるなら「まだいいほう」だと私は考えています。
なぜなら受け身とはいえ一応、動きはついているからです。
周囲の人や流行に流されるなら「周囲と同調できている」「時代感覚があっている」あらわれでもあるので、それならぜんぜんましではないかと。
一番よくないのは「動きがないこと」だと思うのです。
一昔前は、皆が同じ環境にいて、同じレベルの情報をもっているから、誰かの動きに、皆がなんとなく影響されて動くことはできていたと思います。
だからこそ「なんとなくで動く生き方でいいのか」「動かされるという動きでいいのか」的な意味で、「それだと流されるよ」というアドバイスがあるわけですよね。
でも今の時代は違います。皆がそれぞれの環境にいて、情報に強い人とそうでない人との差がついて、皆で同じ動きをすることはなくなり、
動く人は動くし、動かない人は動かない、…となれば、
なんとなく以前のままの感覚でいたら、周囲が動いていることにも、自分が動いていないことにも気づかず、自分だけが止まったまま…という、
怖いことになる可能性だってあります(>_<)
少し前までなら、受け身でいると「自分以外の何かに動かされてしまう」心配がありましたが、今の時代は受け身でいると「動きそのものが止まってしまう」心配をする必要があると思っています。
この「流される」ということばを、ネガティブな意味で使う時代はだんだん過去になっていくかもしれません。流されるという外からの動きが期待できないぶんもふくめて、自主的に動きをつけていく姿勢がより重要になっていく気がします。
コメント
最近、コロナ前に会ったきりの友達に再会しました。
「私もそろそろ動かなきゃダメだね」とコロナ前もそれから数年経った今も全く同じことを言っていたので
この人はおばあちゃんになっても同じことを話しているかもしれない情景が浮かんできました。
明太子さま
コロナの3年間は時間が経つ感覚があいまいになって、なんとなく過ごしてしまった人も結構いたような気がします。人との交流はお互いのオーラの交流で影響を与えあうので、この再会が刺激となって、お友達も「そろそろ動き出す」ことになるかもしれませんね(^_^)/
…と考えると、次の再会がちょっと楽しみなような。ぜひ続報をお待ちしています笑