仕事上の人間関係は、プライベートの友だちとは別の学びを与えてくれる。

仕事上の人間関係は、「自分の好み」を持ち込むことができませんよね。

プライベートの友達などと違い、嫌だから付き合わないとか、関わりたくないから距離をとるというような、感情に基づいた判断をするわけにはいきません。

そこが深い学びに繋がっていくと思います。

個人的な好き嫌いを持ち込めない、仕事の人間関係。

仕事というのは、自分の労力を提供して、対価をいただくことで成立します。お金をいただく側は、相応の我慢なり忍耐なりが必要となり、楽な仕事というのはありませんね。

仕事に関わる人間関係も同様で、お金をいただく側は特に、我慢や忍耐をする必要がでてくることが多いです。

人間性が嫌いだから、気があわないからと、関わらないわけにはいかず、自分の好みで、仕事の相手を選ぶこともできません。

そこに、仕事の関係ならではの、特別な学びがあると思うのです。プライベートの友だち関係からでは学ぶことができない、特別なものが、そこに存在するということです。

スピリチュアル的にとらえるなら、この世のできごとのすべてに意味があり、広い意味では、たましいの成長に繋がる学びの要素です。

私たちが、深く学ぶことができるように、この世という場所は、生活の手段として、仕事をするようになっていて、

そこから簡単には逃れられない状況で、人との関わりを深く学ばされ、感情以外の判断の基準を、育てていくようになっているのでしょう。

人が数人集まれば、対立があっても普通のこと。

そして、よくよく考えてみれば、仕事に限らずどのような状況でも、人が数人集まれば、意見がすれ違ったり、誤解があったり、ときに対立したりすることは珍しくないことです。

ただでさえそうなのですから、そこに「お金」が絡んでいく仕事上の付き合いならなおのこと、お互いの損得やら、立場や組織の利害やらが関係してきて、感情的にもこじれやすいのです。

しかし、感情で判断することは簡単にはできない、むしろ、そういうものを見せないふるまいをしなければならないことも多々あるのが、仕事の人間関係という、ストレスの大きい学びなのです。

こうした状況を考えれば、仕事の関係ほど、いろいろあるのが、むしろ「普通」で、何もなかったら「奇跡」です。そのくらいに思っておくのがいいでしょう。

理性と大人の知恵を、学ぶ機会にすればいい。

実際には、お互いの間にスムーズでないものがあっても、表面的な最低限の調和は、保っていかなければならないところが、仕事の人間関係の難しさです。

プライベートの友だちのように、こじれたら距離を置くという方法も簡単にはとれませんし、仕事がうまくいかなければ、生活の手段も不安定になってしまいますから、割り切らなければならない部分がたくさんあります。

しかし、受け止め方によっては、建前と本音を使い分けていく方法や、そうすることで得られるメリットを、経験から深く理解して身につけることができる、よい学びの機会です。

そうして身につけた「大人の知恵」は、その後の人生のあらゆる場面で、いかしていくこともできるでしょう。

仕事上の付き合いだからこそ、知り合う関係。

さらには、仕事上の人間関係は、自分の好き嫌いをはさめないので、ストレスも我慢もいろいろでてくるけれど、そうして強制的に関わることになる相手から、刺激をもらえることもあります。

プライベートでは関わる機会がなさそうな、珍しい立場の方と、仕事を通して関わる機会が得られることもあり、知らない世界をのぞかせてもらうことになったり、学びも多々あるのです。

私の経験でいえば、「会社の得意先の、会社」で、「こういう分野の仕事が存在するんだなあ」と、それまで知らなかった業種があることを知って、自分の知識の狭さを思い知らされたことがありました。

会社として、その得意先に外注することはあっても、個人の立場では関わることがない分野なので、私を、その役割につけてくれた上司がいなければ、知らないまま人生を過ごしていたかもしれない学びでした。

上司との出会いも、取引先の相手との出会いも、仕事という関係性がなければ、つくられなかった機会です。

ストレスもあるけれど、しかし、その分だけ、得られるものも大きいのが、仕事という環境と、そこでの人間関係だということで、この世のしくみとは実にうまくできているものだという思いを深くします。

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