5年前、10年前と、違う感覚でものごとを解釈しているのが「成長」の証し。

年齢を重ねていく中で、「人生とはこういうものなんだな」とか「世の中って、こうなっているんだな」と気づくことがあります。

同じものをみても、違う理解をしている自分にきづいたら、それが成長ですね。

10年前とも、5年前とも違う感覚で人生や世の中をみていることに気づいたら、過去から成長した自分を褒めてあげてください。

経験が、理解を深くしてくれる。

若いうちは、分かったような気になっていても、実際は頭だけや理屈だけで、実感の伴わない浅い理解だったんだということが、その年齢なりにわかってくるもののようです。

そう考えると、すべての経験がありがたいものだと受けとめていけます。

たとえば人生の先輩たちが、かつての何も知らない自分に掛けてくれた言葉のひとつひとつが、しっかりと重みをもって感じられてくるようになります。

その全部が、好意的なものではなかったかもしれません。多少の嫌みや皮肉が混じっていたとしても、それでも、そのひと言がなければわからなかったことがあったり、それによって気づかされたり、違う形で後にいかされることなどもあるものです。

相手の好意的な見方は、嬉しくさせてくれるけれど、役立つとは限らず、逆に相手からすれば皮肉を込めた否定的な言動であっても、そのことが役立つ場合もあるわけで、

渦中にいるときはわからなくてもしばらくの時間が経過してみれば、そうした経験のすべてに価値があることが、わかるようになってくるものです。

コメント

  1. mako より:

    成長とよべるかはわかりませんが、、、
    2,3年前の自分と比べると、物事や人のことを否定するよりも肯定することが増えたような気がします。
    あるいは否定はしているけれど、ここは肯定する部分・・・みたいに何かをひとくくりに判断することはなくなりました。
    それによっていろいろな見え方が違ってきます。
    そして、それに対する気持ちも変わって一部分に対するこだわりもなくなります。
    自分の気持ちを自分で縛ることもなくなって、楽になったような気がします。

    • リカコ リカコ より:

      物事に対する解釈、印象には
      どれだけ客観視しているようでも、必ず自分の主観が入っていて
      そのときの自分が反映していきますから

      過去と今とを比較すると、いろいろなことに気づいていくものですね。