相手が、自分に、いわれのない感情を一方的にぶつけてくることがあります。
そのような態度をとられてしまうような原因が自分にあって、反省しなければならないケースは別ですが、相手の一方的な思いや解釈の八つ当たりのような言動を、ぶつけられたときには、「相手が投げつけた、感情というゴミを拾わない」ことが大事です。
そのゴミの処理は作り出した相手が行うものであり、自分が拾って反応することではないのだと、冷静に自分に言い聞かせていきましょう。
そういう態度をされたら、不愉快な思いは出てくるかもしれませんが、そこで相手のペースにのって、こちらも感情的になるようなことは、何よりも自分のためになりません。
このことは、文字で読むとそのほうがいいなと受けとめることができても、実際にその状況に直面してしまうと、自分も感情を乱されてしまって、怒りや悔しさでいっぱいになってしまいます。
そして、そのことにいつまでもとらわれて、何度も思い出しては感情を混乱させ、気力を消耗しペースが崩れていきます。しかし、そうなることは、相手だけが悪いのではなく、「自分も、そうしている」のだと、理解をしていくことも必要です。
このように考えてみてください。相手がいわれのない感情をぶつけてくる、という行為があるなら、それはほぼ全面的に相手に非があります。
自分にそうされる原因がないのに、一方的に、自分を悪者にしたような文章が書いてある紙をくしゃくしゃに丸めて、いきなり投げつけられたようなもので、それはとても不愉快になり、腹も立つでしょう。
けれども、そのゴミを拾わないことが大事なのです。相手の出したゴミに、自分が反応しないことです。
ところが、多くの人は、いきなりぶつけられたことにびっくりしたり、そうした相手の非を正したいような気持ちもあったりして、つい、その紙くずを拾い上げてしまいます。
そして、中身をじっくり読んで、怒りの感情を反応させ、こともあろうに、紙をその場で捨てずに、家に持ち帰ってしまいます。
そして、くしゃくしゃの紙を丁寧に伸ばし、本の間にはさんで保管し、たびたび取り出して眺めては、当時の自分がうけた仕打ちを思いだし怒りを再燃させます。
多くの人が、このような行動をとってしまいますが・・・、一連の行動をよくよく考えてみると、最初の、感情を一方的にぶつけてくるという行動は、相手が行ったものですが、その後の反応や行動は、相手がしているものではありません。自分が自分を苦しくする行動を、わざわざしていることになります。
相手のしたことを割り切れないのは、そこで割り切ってしまったら、理不尽なことをした相手が得をして、割り切った自分がやられ損ではないか、という思いがあるからですよね。
けれど、割り切っていくことで自分が得をする面もあるのです。少なくとも、何度も感情を混乱させて消耗してしまうことは避けられます。
得をするのは相手ではなく自分だと思っていけば、割り切る気持ちも持てるのではないでしょうか。
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