誰にとっても「自分自身のことは、よくわからない」ものです。
それは、たとえるならば「自宅の鏡」を通して、自分を見ることに似ていて、同じような見方になるためですね。
鏡がある位置への、日差しの入り方、照明の当たり方は同じであり、自分が鏡の前でよくする表情も、身につけているものも、知っているものばかりとなれば、
そこから、新しい何かを「見いだす」のは難しくなりますから、
自分自身を知るには、「外の鏡に、自分を映してみる機会」をたくさんもつことが役立ちます。
そうして、自宅の鏡でみる自分(自分目線での認識)と比較をすると、わかる範囲が「多面」になります。
自宅の鏡以外の、「外の鏡」という考え方は、二種類あります。
まずひとつは「実際の鏡」です。たとえば、電車内の鏡、会社の化粧室の鏡、洋服屋さんにおいてある姿見など、場所が違う鏡に自分を映してみると、見えてくるようすがちがいますよね。
電車内は、照明の明るさが少ないので、いつもより暗い表情の自分にみえやすいですし、
会社の鏡でみる自分は、家にいるよりオフィシャルな表情をしているし、
洋服屋さんにある鏡は、照明の当て方がとてもいいので、家でみる自分よりも3割増しに美形にみえたりするものですよね、笑。
そうした、いろいろな鏡を通してみることで「比較」ができます。条件がバラバラだからこそ、(ある一部分が誇張されるなどして)見えてくるものがありますよね。
もうひとつは「他人は、自分の鏡」という解釈です。
この世には、同じ要素をもつもの同士が引きあう「波長の法則」というしくみがあるので、関わりをもつことになる人間関係は、自分と何かが共通していることになります。
ほんの一部分での共通点があれば、関わる機会がつくられるしくみなので、他人という鏡にうつるものが、自分のそのままではないけれど、
たくさんの人と関わりをもつことで、少しずつ自分を知ることができるようになっています。
相手から「あなたって、こういう性格の人ね」と言われたり、「あなたのよいところは、こういう点ですね」と評価されたりすれば、相手側からの自分の見え方がわかります。
または、相手のようすを眺めて「自分も、同じような考え方をすることがあるなあ」と気づかされたり、「自分が、もしあの人と同じ行動をとったら結果はどうなるだろう?」と、新しい可能性を発見できたりもします。
もちろん、外の鏡をとおして知ることは、自分自身の一部分でしかなく、
本当の深いところまでは、やはり、自宅の鏡でしか(自分の目線でしか)見つけることはできないかもしれませんが、
自宅の鏡には映りにくい(自分目線だけでは認識しにくい)、自分のよいところはたくさんあるので、そちらを発掘するつもりで、外の鏡に自分を映しにいきましょう!
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