私たちには、たましいの導き役である「守護霊」という存在がいて、この世での「人生という学び」を見守っています。
しかし、この人生の時間を進んでいく主人公は、あくまで自分自身であり、
自主性をもって進んでいくことも学びのうちですから、
たとえば、守護霊が前面に立って、ああしろこうしろと指揮をとるような関係になることはなく、
どのような場面でも、基本的には私たちの自主性が尊重されていき、守護霊は、それを大局的な視点から見守っています。
前面に立つのは、主人公である、自分自身です。
人間関係で、お互いのわかりあえないところや、違う存在であることを強調する表現として「お互いに、他人同士だからね」などという言い方がつかわれることがあります。
自分と守護霊の関係は、だれよりもわかりあっていて、(この人生の経験から学ぶという)同じ目的をもっている「お互いが、自分同士」ともいえるくらいの、近い関係です。
私たちの側からは、守護霊の姿形を認識することができず、
その働きかけも、はっきりとはとらえることはできなくても、
心の深いところではわかりあっていて、
たましいの目的としては、同じものを共有しているのです。
この人生を生きる主人公である私たちは、
自分を信じて、自分の人生を進んでいけば、
その道は、自分と守護霊が、ともに進んでいく道となるのです。
コメント
現実的な、生きる姿勢、
同時にスピリチャルな、見えないでもあります確かにある、メッセージも、とても安心できる
言葉に深く感銘を、素直に受けました。
ありがとうございます。
不安な中に、安心に繋がるテーマがあり、出会えて私は幸せです
Tさま
スピリチュアルな事柄や、霊的な存在のしくみなどを、
意識している人も、そうでない場合でも、
いずれにしても、すべては「自分が主体」というところは同じですので、
自分を信じていくことが大事なのだと思います。