私たちのこの世での学びは、はじまりからおわりまで、守護霊という「たましいの繋がり」が深いスピリットが、導きをしています。
この人生の学びは、私たちの自主性が尊重されているので、守護霊が、ああしろ、こうすべきと、口を出したり、強制したりすることはありません。
スピリチュアリズムを知って、守護霊という存在としくみを理解しだした初期のうちは、
守護霊から、もっといろいろ教えてほしいし、最善の進み方を指導をしてくれたらいいのになあ、という気持ちもでてきてしまうものです。
それは、必ずしも「依存」ではなく、(姿形を視覚にとらえることができない)守護霊という存在がいることや、自分を導いてくれていることを「確かめたい気持ち」でもあるのでしょう。
裏付けを得て、自分を納得させたいという。
ですが、守護霊が望んでいるのは「守護霊という存在がいると、信じること」ではなく、「自分を信じて、この人生という学びの道を進むこと」なので、
そういう導き方をすることで、必要なことに「自分で」気づかせてもらっているのだろうし、最善の「自力」という道を、教えられてもいるのでしょう。
しくみを理解しだした初期のうちは、これらの内容は「理屈」に思えるけれど、
学びが進んでいくと、それは「真理」だと思えるようになります。
コメント
何となく「導いてくれてるのかな・・・」とか「助けてくれたのかな・・・」と
感じるときがあります。
ああしろこうしろ、とは言わないけど、つい出しゃばって(表現が悪いですが(^_^;))
助けてしまいたくなる、そんな生き方をしなければいけないといつも思っています。
守護霊は、相当に、進化・向上している存在で、
個人的な「感情」のようなものを超越した、意識の領域にいます。
「つい、○○したくなる」という感覚の判断というのは、人間にはよくあることかもしれませんが、
守護霊の与える導きの判断基準とは、そういうものとは
少々違ったものになっていると思います(^_^)。
前の方へのお答えを読んで、疑問に思っていたことを思い出しましたので質問させてください。
私たちが死後にいる世界でも(未成仏の場合を除きます)、人間らしい感情は存在しますか。それとも生前の感情からは離れた位置にいるのでしょうか?
死後の世界がどういう状態で、そのときの「自分」というものが、どんな状態で「いる」ことになるのか、その状態の「意識」というものは、どういうものか(今の自分と同じような感覚で、「自分」という認識をもっていられるのか、そうでないのか等)、
そのあたりの理解と、セットにしていかないことには、おたずねになっている件のみを単独で、○×をつけるようには定義しにくいです。
イメージとして、この世での肉体は失うけれども、半透明なエネルギー体のような「自分」がいて、あちらの世界に「場所」をうつして、何らかの「生活」「活動」をしているようなとらえ方になるのが、おそらく一般的だと思うけれども、それはあくまで、こちらの世界に寄せたイメージなのですよね(^_^;)。
そうした「土台」があってこその、「個別の要素」なので、個別の要素のみを、○×ように端的には説明しにくいですね。。。
前の方のコメントは、題材が守護霊のことであっても、土台となることは「こちらの世界のこと」なのです。こちらの世界にいる、自分への働きかけについてなので、端的な答えを差し上げられます。
たとえば、既に他界されている、あちらの世界に戻っている霊(守護霊というわけではなく、成仏していない霊でもなく、その他の一般的な霊)が、こちらの側に、何らかの働きかけをしてくるとして、そこに人間らしい感情があるかどうか等、そうした質問であれば、前の方のコメントと同じように「こちらの世界でのこと」なので、こちらの世界の感覚によせた回答を、端的に差し上げることはできるのです。
けれど、そういうことではなく、あちらの世界での「ようす」についてですから、そうなると、土台の理解とセットでないと・・・という、冒頭に書いたようなことになってしまうのです。。。
私の申しあげたいこと、伝わりますでしょうか。ちょっと難しいでしょうか(^_^;)。
ありがとうございます。
人の感情に近いものを持つ個もいれば、そうでない領域に存在することもある、それぞれですね、と理解しました。
いえ、その解釈は違います。
その解釈でよいなら、長々とお伝えすることなく、あなたがお書きになったそのとおりを、回答すればすむことですよね(^_^;)。
そうではなくて、
「霊の世界」は、こちらの私たちがいる物質界とは、「存在のしかたが違っている」世界です。
こちらの世界とは、何億人もの「人」がいて、それぞれ、個人的な考えをしたり、行動をしたりしています。
いただいたご質問は、
霊の世界にも、何億人もの「霊体」がいて、それぞれ、個人的な考えをしたり、行動をしたりしている「世界」があるものという前提で、抱かれている疑問であるように、私は解釈をしました。
その際、ひとりひとりの霊は「この世を去って、霊の世界に行った後もなお、この世にいたときのように、感情というものを有しているのか?それとも、肉体をもたない霊になってしまえば、そうではなくなるのか?」ということを、知りたいということなのだろう、と。
けれども、(あなたが言わんとしていることはだいたい、私はわかるのですけれども)
霊の世界での、霊の「存在のしかた」が、この世での、人の存在のしかたとは、まずその部分からして違うので、
端的には答えられない、ということなのです。
霊の世界がどうなっていて、霊はどういう存在のしかたで、しくみがああなってこうなって・・・という理解がなければ、この個別の感情が云々、という点のみをお答えしても、おそらくは、解釈が繋がらなくなってしまいます。
・・・ということを、先の返信として書かせていただきました。
わかりにくい説明でしたら、申しわけありません。
ありがとうございます。ないとも言えるし、あるとも言える、という理解にします。
私のいる次元からは真に理解することは無理なのだろうと。でもそれでOKです。
お時間使って下さり、ありがとうございました!
あの世での、霊の存在というのは「人間みたいな存在のしかた」ではない、ということですね。
なので、「人間と同じように○○なのか?」というとらえ方だと、とらえられないという、
わかりにくいですが(^_^;)、そういうことなのです。