守護霊が望むのは、「自分を信じて進む」こと。

私たちのこの世での学びは、はじまりからおわりまで、守護霊という「たましいの繋がり」が深いスピリットが、導きをしています。

この人生の学びは、私たちの自主性が尊重されているので、守護霊が、ああしろ、こうすべきと、口を出したり、強制したりすることはありません。

スピリチュアリズムを知って、守護霊という存在としくみを理解しだした初期のうちは、

守護霊から、もっといろいろ教えてほしいし、最善の進み方を指導をしてくれたらいいのになあ、という気持ちもでてきてしまうものです。

それは、必ずしも「依存」ではなく、(姿形を視覚にとらえることができない)守護霊という存在がいることや、自分を導いてくれていることを「確かめたい気持ち」でもあるのでしょう。

裏付けを得て、自分を納得させたいという。

ですが、守護霊が望んでいるのは「守護霊という存在がいると、信じること」ではなく、「自分を信じて、この人生という学びの道を進むこと」なので、

そういう導き方をすることで、必要なことに「自分で」気づかせてもらっているのだろうし、最善の「自力」という道を、教えられてもいるのでしょう。

しくみを理解しだした初期のうちは、これらの内容は「理屈」に思えるけれど、

学びが進んでいくと、それは「真理」だと思えるようになります。

コメント

  1. mako より:

    何となく「導いてくれてるのかな・・・」とか「助けてくれたのかな・・・」と
    感じるときがあります。
    ああしろこうしろ、とは言わないけど、つい出しゃばって(表現が悪いですが(^_^;))
    助けてしまいたくなる、そんな生き方をしなければいけないといつも思っています。

    • リカコ リカコ より:

      守護霊は、相当に、進化・向上している存在で、
      個人的な「感情」のようなものを超越した、意識の領域にいます。

      「つい、○○したくなる」という感覚の判断というのは、人間にはよくあることかもしれませんが、
      守護霊の与える導きの判断基準とは、そういうものとは
      少々違ったものになっていると思います(^_^)。

  2. akiko より:

    前の方へのお答えを読んで、疑問に思っていたことを思い出しましたので質問させてください。
    私たちが死後にいる世界でも(未成仏の場合を除きます)、人間らしい感情は存在しますか。それとも生前の感情からは離れた位置にいるのでしょうか?

    • リカコ リカコ より:

      死後の世界がどういう状態で、そのときの「自分」というものが、どんな状態で「いる」ことになるのか、その状態の「意識」というものは、どういうものか(今の自分と同じような感覚で、「自分」という認識をもっていられるのか、そうでないのか等)、

      そのあたりの理解と、セットにしていかないことには、おたずねになっている件のみを単独で、○×をつけるようには定義しにくいです。

      イメージとして、この世での肉体は失うけれども、半透明なエネルギー体のような「自分」がいて、あちらの世界に「場所」をうつして、何らかの「生活」「活動」をしているようなとらえ方になるのが、おそらく一般的だと思うけれども、それはあくまで、こちらの世界に寄せたイメージなのですよね(^_^;)。

      そうした「土台」があってこその、「個別の要素」なので、個別の要素のみを、○×ように端的には説明しにくいですね。。。

      前の方のコメントは、題材が守護霊のことであっても、土台となることは「こちらの世界のこと」なのです。こちらの世界にいる、自分への働きかけについてなので、端的な答えを差し上げられます。

      たとえば、既に他界されている、あちらの世界に戻っている霊(守護霊というわけではなく、成仏していない霊でもなく、その他の一般的な霊)が、こちらの側に、何らかの働きかけをしてくるとして、そこに人間らしい感情があるかどうか等、そうした質問であれば、前の方のコメントと同じように「こちらの世界でのこと」なので、こちらの世界の感覚によせた回答を、端的に差し上げることはできるのです。

      けれど、そういうことではなく、あちらの世界での「ようす」についてですから、そうなると、土台の理解とセットでないと・・・という、冒頭に書いたようなことになってしまうのです。。。

      私の申しあげたいこと、伝わりますでしょうか。ちょっと難しいでしょうか(^_^;)。

      • akiko より:

        ありがとうございます。
        人の感情に近いものを持つ個もいれば、そうでない領域に存在することもある、それぞれですね、と理解しました。

        • リカコ リカコ より:

          いえ、その解釈は違います。

          その解釈でよいなら、長々とお伝えすることなく、あなたがお書きになったそのとおりを、回答すればすむことですよね(^_^;)。

          そうではなくて、

          「霊の世界」は、こちらの私たちがいる物質界とは、「存在のしかたが違っている」世界です。

          こちらの世界とは、何億人もの「人」がいて、それぞれ、個人的な考えをしたり、行動をしたりしています。

          いただいたご質問は、

          霊の世界にも、何億人もの「霊体」がいて、それぞれ、個人的な考えをしたり、行動をしたりしている「世界」があるものという前提で、抱かれている疑問であるように、私は解釈をしました。

          その際、ひとりひとりの霊は「この世を去って、霊の世界に行った後もなお、この世にいたときのように、感情というものを有しているのか?それとも、肉体をもたない霊になってしまえば、そうではなくなるのか?」ということを、知りたいということなのだろう、と。

          けれども、(あなたが言わんとしていることはだいたい、私はわかるのですけれども)

          霊の世界での、霊の「存在のしかた」が、この世での、人の存在のしかたとは、まずその部分からして違うので、

          端的には答えられない、ということなのです。

          霊の世界がどうなっていて、霊はどういう存在のしかたで、しくみがああなってこうなって・・・という理解がなければ、この個別の感情が云々、という点のみをお答えしても、おそらくは、解釈が繋がらなくなってしまいます。

          ・・・ということを、先の返信として書かせていただきました。
          わかりにくい説明でしたら、申しわけありません。

          • akiko より:

            ありがとうございます。ないとも言えるし、あるとも言える、という理解にします。
            私のいる次元からは真に理解することは無理なのだろうと。でもそれでOKです。
            お時間使って下さり、ありがとうございました!

          • リカコ リカコ より:

            あの世での、霊の存在というのは「人間みたいな存在のしかた」ではない、ということですね。

            なので、「人間と同じように○○なのか?」というとらえ方だと、とらえられないという、

            わかりにくいですが(^_^;)、そういうことなのです。