人と人が関わることは、「オーラ同士の関わり」が生じます。言葉や態度にあらわさないことをオーラを通して伝えあったり、影響を与え合ったりしています。
では、人と人とが関わるときの、お互いの「守護霊同士の関わり」はどうなるかといえば、こちらも必要に応じて関わりはなされていくようです。
この世で展開する出来事は、その人自身が「行い」を重ねることで、つくられていくしくみです。
守護霊が主導してつくるものではないですから、人と人との関わりを超えて、何でも守護霊同士が、関わりをもつことはないでしょうけれど、
お互いの目的が共通する場面では、お互いの守護霊が、同じような動きをみせて、その関係や事柄を導いていくことはあるようです。
10年以上も前の経験ですが、ホテルで行われたある講演会でのこと。
それは、テレビなどでも活躍していらっしゃるAさんと、地元テレビ局のアナウンサーであるBさんの、トーク形式で行われたものでした。
私は、一番前の列の端にすわっていました。
目の前に舞台に上がる階段があり、その横に椅子が2つ置かれていました。
トークが開始される直前に、椅子は舞台に運ばれるという段取りで、そのときはまだ準備として、階段の横に置かれていたようです。
ホテルのスタッフの方が、その椅子の前を横切ったとき、手袋を椅子の上に落としてしまわれて、すぐに拾い上げられました。
私は、見るともなしにスタッフの方の動きを目で追って、それで、目の前に椅子がおいてあることに気づきました。
そのままなんとなく、椅子に意識の焦点があってしまい、、、
ほどなく、椅子に2つの「気配」が存在していることにも気づきました。
ひとりは大柄なお坊さんのような方、もうひとりは小柄な武士のような方です。
こういうことはよくあります。霊は、椅子とか、ドアとか、人が動く所、使うところにあらわれることは多いものです。
お二人が登場してきました。テレビで拝見することはあっても、画面を通す印象と実際のようすは違うので「思っていたより、かなり体格差があるのだな」と思いました。
Aさんは大柄、Bさんは小柄な方でした。
そのようすをみたときに、先ほど、私の霊的な視界でとらえた方達は、お二人の守護霊だったのだろうとわかりました。
ご本人たちより先に、椅子に座られて本番の準備を・・・というわけでもないでしょうけれど笑、
「それぞれの守護霊の方が、一緒に行動していらっしゃる」ようすをみた、初めての経験でした。
Aさんは、江原啓之さん、
Bさんは、地元局アナからのちにフリーになられた、佐藤のりゆきさんです。
こういうこともあるのだと、教えられたような経験でした。
あの席に座ることになり、スタッフの方が手袋を落としてくれなければ、目の前に椅子には意識を向けることはなく、気づかないままだったと思うので。
席は自由で、私が入場した順番は早くはなかったのですが、前列が一席だけ空いていたのです。会場は小さいので、一番前の端より、真ん中がいいと思った方が多かったのかもしれません。
そうした偶然(必然?)の繋がりで、
かなり「レア」な光景を目にすることができました。
コメント
江原さんには大柄なお坊さん
佐藤さんには小柄な武士
なんとなくお二人の現世の容姿や職業に共通していますよね。
体型も現世と守護霊が微妙に共通していて(決して江原さんが“大柄”という意味じゃ 汗)、守護霊と現世の繋がりを感じる、とても興味深く読ませて頂きました。
ありがとうございます。
江原さんの守護霊は「昌清霊」さんとおっしゃる、僧侶だそうです。
このことは、書籍の中で頻繁にでてくる記載ですね。
守護霊は、その人の雰囲気など、いろいろ共通点があるので、
仮に、江原さんの守護霊について前知識がなかったとしても、お二人を逆にとらえることは、おそらくなかっただろうと思います。
たとえば、先祖霊や守護霊の関わりでこの世での出会いがなされた場合、出会った2人は当然お知り合いになりますが、先祖霊と守護霊もあの世でお知り合いなのですか?
それとも、例えば私の守護霊が「こんな条件の誰かと出会わせたい」と考えて探して見つかった相手の守護霊とその後交流するようになる…みたいな感じですか?
こんな、この世的な考えは当てはまらないでしょうか(^_^;)
>先祖霊や守護霊の関わりでこの世での出会いがなされた場合
この文章の意味とは、「本人同士の出会いが、先祖霊と守護霊との関わり(働きかけ、介在などの意味?)から作られた場合」に、「そのような場合は、お互いの先祖霊と守護霊同士も、あの世でお知り合いなのか?」というご質問でしょうか。
そういう意味でいただいているご質問だとして、
この世の本人同士の出会いは、いくら、そこに守護霊の介在があろうとも、その人自身に、何かそうなる「要素」がなければ、物事が展開することはありませんね。
まったく何もない、条件がゼロのところから、守護霊の力で、何でも出来事を発生させられるものではないからです。
その人の人生に起こることは、その人自身の「行い」によって作られているのであり(その行いを「カルマ」といい、行いによってつくられるしくみを「カルマの法則と」いいます)、
守護霊が独自に「考え」たり「探し」たりして、守護霊がつくるものではないということです。