この世では、家系の繋がりという関係が、もっとも近くて、基本となる人間関係になります。
ですが、スピリチュアルな観点から解釈すれば、家族といえども「それぞれ別のたましい」であり、「学びのために集まっている」関係であるので、
気があうとは限らず、まったく考え方が違ったり、理解しあえず対立が多いなど、近い関係であるがゆえのいろいろな問題を抱えるケースもあります。
家族という近い繋がりであるのに、他人ではないのに、どうしてこうもわかりあえないのかと不思議に思うかもしれませんが、
血縁というつながりは「この世的なもの」であり、たましいの性質は「家族といえどもそれぞれ別」なので、ときには、性質がまったく違う人同士が家族になることもありますからね。
家族も、別々のたましいの集まりです。
この世での人間関係は、どのような関係でも必ずストレスがかかります。
違う性質をもつ人同士が、同じ場所で生活をするのですから、わかりあえないことも、お互に負担をかけあうことも山ほどでてきます。
それでも、何人かの感性が近い友達がいるとか、安心して本音を言える構えなくていい家族がいることで、バランスがとられてストレスも中和されていきますよね。
しかし、家族といえども気が合わない、まったく違う性質の人同士が集まるケースもあり、そういう環境にいる人は、人間関係からの安心が得られる度合いが少ないので、大きなストレスにさらされます。
この世的には、もっとも近くて安心できる関係であるはずの家族間で、緊張感がでてしまう要素があるというのは、それはもう大きな負担となるでしょう。
誰の何を、どう信じていいのかわからなくなったり、
人づきあいの距離感の計り方が、混乱してしまったり。
誰もが、人生をトータルでとらえていえば、それなりの問題や課題、思いどおりにならないことは抱えるものだし、経験するものだとしても、
人生のうちで、短くはない時間をともにする人間関係の難しさは、他のこととは度合いが違ってくるでしょうからね。
そういう状況にある方は、スピリチュアリズムの知識をもつことで、ほんの少し、心の支えになることが期待できると思います。
過去の思いの、すべてに対する答えには、到底ならないでしょうけれど、たくさんの思いのうちの幾らかには、答えとなるものが得られるかもしれません。
たましいの学びのために、集まっている関係。
人は何度もうまれかわっていて、たましいの学びを続けている存在で、
今回の人生の経験は、そのうちの1回で、
お互いに、何度もあらゆるシチュエーションに生まれ変わって、たましいを磨くための学びを続けています。
家族という関係は「今回の人生を学ぶために集まった、それぞれ別の性質をもった別のたましい」となります。
家族とは、この世的にはお互いに助け合っていく関係であっても、
たましいの観点からすれば、お互いに「学びあう関係」でもあるので、難しい問題が降りかかってくることもありますが、
そうした経験がたましいを磨き、お互いに成長をしている(目的で、家族になっている)面もあるのです。
この人生での経験のすべてを、スピリチュアルな観点からのみ解釈をあてはめても、それもまた別の意味で偏ってしまうけれど、
現実としてものごとを眺める中に、そうした観点からの解釈を「少し加えてみる」ことで、納得ができる部分もでてくるのではないでしょうか。
もちろん、この状況にある全員が、納得できるわけではないでしょうね。ほんの一部の方でしょう。何しろ、本当に負荷が大きい状況でしょうから。
無理に自分を納得させる必要はないです。「そういう面もあるいは、あるのかもしれないな」という程度で十分ですね。
あとは時間に任せていけばいいと思います。
この世の、時間という変化のしくみは偉大なもので、時間が経過していくことで、不思議と理解が進んだり、別角度からの解釈が生まれたりするのなので、
いずれふさわしいタイミングで、こういう意味もあったのかもしれないなと、思える瞬間はくるだろうと思いますから。
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