この世では、家系の繋がりという関係が、もっとも近くて、基本となる人間関係になります。
ですが、スピリチュアルな観点から解釈すれば、家族といえども「それぞれ別のたましい」であり、「学びのために集まっている」関係であるので、
気があうとは限らず、まったく考え方が違ったり、
理解しあえないとか、対立が多いとか、
近い関係であるがゆえの、いろいろな問題を抱えることもあります。
もっとも近くて基本となる関係に、安らげない要素があるという「負荷」は、とても大きいことと思います。
常に緊張感をもったまま過ごすことになったり、何をどう信じていいのかわからなかったり。
誰もが、人生をトータルでとらえていえば、それなりの問題や課題、思いどおりにならないことは抱えるものだし、経験するものだとしても、
人生のうちで、短くはない時間をともにする関係での負荷という難しさは、他のこととは度合いが違ってくるでしょうからね。
そういう状況にある方は、スピリチュアリズムの知識をもつことで、ほんの少し、心の支えになることが期待できると思います。
過去の思いの、すべてに対する答えには、到底ならないでしょうけれど、
たくさんの思いのうちの幾らかには、答えとなるものが得られることも、あるかもしれません。
人は何度もうまれかわっていて、たましいの学びを続けている存在で、
今回の人生の経験は、そのうちの1回であり、
家族という関係は、今回の人生を学ぶために集まった、それぞれ別のたましいで、「学びあう関係」であるという前提で、眺めていくことができれば、
心の中に、今までとは違う解釈がつくられていくことも、あるのではないでしょうか。
もちろん、そうした状況にある全員が、納得できるわけではないでしょうね。ほんの一部の方でしょう。何しろ、本当に負荷が大きい状況でしょうから。
そして、その解釈の仕方に、優劣も、正解も不正解も、ありません。
学びの内容は、ひとりひとり違います。
解釈も、ひとりひとり違います。
どのようなことにも言えるけれど、
人生の意味や意義は、そう簡単には、わからないようになっていて、
ちょっとわかったと思っても、そうではないことに気づき、また別の思いにいれかわって・・・、そうした経験をくり返していくことで、
少しずつ、わかっていく部分が、固まっていくことは多いものです。
家族の学びの意味や意義も、時間を掛けて、わかっていくようになるのだろうと思います。