他人の言葉を通して、答えが与えられる。

ある日の私は、目的地に向かって歩きながら、考え事をしていました。

ある事柄について、「これは、私のやるべきことなのかな」「私がやらなくてもいいことでは。もっと他に時間を掛けるべきことがあるのでは」と、

同じことを、ぐるぐると考え続けていました。

判断の基準がないことを、頭の中だけで考えたところで、答えにいきつくことはありません。それはわかっているのだけれども、

考えるという「行為」をすることが、「解釈を前進させるような」気持ちに、なってしまうことってありますよね。実際には、そうではないのですが。。。

わかっていながら、何度も頭の中で、同じことをくり返しながら、道を歩いていました。

私の少し前に、ご年配の女性二人組がいらっしゃって、そのうちのひとりの方が、もうひとりの方に、よく聞こえるように、あえて大声でお話をしているようすでした。

私は考え事をしている最中だったので、その内容までは意識に留まりませんでしたが、そういう状況にあることは視界の端にとらえてわかりました。

目的地につくまで、何度も、同じことをくり返し、

ぐるぐると考え続けていたら、ある瞬間にふと、頭の中に、

「でも、これは、今のためにやるのではなく、未来のためにやることなのかな」という考えがうかんできました。

その瞬間、前を歩いていた女性が大声で、「そのとおりよ!」と。

勢いよく、言葉が、耳にとびこんできました。

もちろん、私へ話しかけたのではなく、知り合いの方同士の会話のセリフです。

ですが、あまりにちょうどのタイミングだったので、

頭の中の、私の考えを肯定されたよう?で、

面白く、同時に、なんだか納得もできましたね、笑。

そうか、未来のための動きなのか、と。

もちろん、これが当てはまるかどうかなんて、わかりません。根拠もなにもないので。。。

ただ、このタイミングが面白かったですし、

未来のためであれば(仮そうだとすれば)、今の時点で、よくわからないのも当然なのだから、これ以上考える必要はないと、そう考えることにしました。

普段の私なら、ひとつだけの思考にいつまでもとらわれることはなく、

わりとあっさりと切り換えるところですが、この件はなぜかぐるぐる考えてしまっていたので、外から切り換えるきっかけが「もたらされた」ようで、面白い経験でした。

私に、必要なヒントが与えられたのだと、そう思うことにします。

そう思えるような、ぴったりのタイミングだったので。

この件が、当てはまるかどうかは未来にならないとわからないですが、

こうした形で、「他人の言葉を通して、ヒントが与えられる」ことってありますよね。思ってもいないところから、自分が頭の中でめぐらせている思考に、呼応するかのような答えがくる、という。

コメント

  1. さち より:

    はじめまして
    毎日楽しみに読んでいます

    とあるスピリチュアル系の本に興味があり読んで理解してみようかと、電車でスマホで試し読みしてたけど、何を言っているのか意味がよくわからないなあと思ったら、近くで喋っていたOLさんの1人が、「意味がわからなーい!」と大きな声で言われ、本当にタイミングが良すぎて、必要ないんだと分かって、買うのをやめました(笑)

    • リカコ リカコ より:

      私とほぼ、同じような現象ですね。
      タイミングがぴったりだと、「そうだな」と不思議なくらいスムーズに納得できてしまいますよね笑。

  2. Y より:

    先日はリーディングをありがとうございました。
    私もリカコさんと似たような経験があり、ずっと不思議に思っていたので、興味深く読ませて頂きました。
    あることが上手く行かなくて、ふと訪ねた神社にお参りをして帰途についた地下鉄の中、隣で会話している方の声がなぜか自分に話しかけているかのように耳に飛び込んできたことがあります。
    「やるだけやったんだから、もういいんじゃないか。やるだけやったよ。」
    不思議とそれ以外の部分は一つも聞こえませんでした。
    自分に話しかけられたのかと一瞬びっくりした程です。
    その事柄は思いがけず後日好転しました。
    今でも忘れられない不思議な経験です。

    • リカコ リカコ より:

      その部分のセリフだけが、耳にはいってくるように、意識にとまるのが不思議なものですよね。

      その会話が行われるところに、ちょうど「自分が居合わせる」というところも含めて、
      こういうタイミングが揃うことは、面白いものだなと思います。