親もまた、完全ではない、成長途中の人間のひとり。

私たちは人間は、たましいの存在であり、何度も生まれ変わり、時代と状況を変えて、さまざまなことを経験しながら、さらなる向上を目指しています。

生まれ変わる、ということは、「学ぶ要素がある」ということでもあります。完全ではない部分、より向上できる余地があるからこそ、今回の人生を学ぶという機会が与えられているわけです。

この世に完璧な存在はいなくて、誰もが少なからず、欠点を持っています。この世で生きている誰もが、「成長の過程」にあり・・・、この世の経験を通して、たましいを向上せるための学びを行っています。

自分自身が完全ではない、欠点がある、というふうに受け止めることは、それほど難しくはないのですが、親に対しては、自分よりも「上」であるべき、という認識があるためか、「理想の親の姿」を求める気持ちから、抜け出せない場合があるようです。

人間の成熟度というのは、肉体の年齢とは、必ずしも比例はしません。今回の人生では、親のほうが先に生まれてきて、年齢を重ねていたとしても、長いたましいの歴史からすれば、親と子の成熟度は逆転している場合もあります。

自分が完全ではなく欠点があるのと同じように、親もまた完全ではない、今回の人生を学んでいる、成長途中にある存在のひとりです。

親に対して、満たされない気持ちがまったくゼロの人はいないものかもしれません。しかし「自分を含めて、この世の誰もが未熟であり、親もまたそのうちのひとりなのだ」という、スピリチュアルな視点でとらえていけば、そうした気持ちを自分自身が受けとめて昇華させることもできるでしょう。

この世に完全な存在はいませんので、完全な親、というものありません。

誰もが、それぞれの立場で、今回の人生を苦労しながら学んでいます。親という役割もまた、難しい学びであり・・・、「理想的」には、なれないこともあっても、その時点での精一杯を尽くしてくれたことに、感謝をする気持ちを持っていきましょう。

相手に一方的に理解を示すと、自分が損をするような気持ちになることも、ときにはあると思います。しかし、相手に理解を示すことで、気持ちが救われるのは、自分自身です。そして、解放されるのも、自分です。

「親もまた、完全ではない、成長途中の人間のひとりである」ことに、心から納得できるようになるまでには、年単位での時間がかかるかもしれません。

けれど、そのことを、いつか理解することができて、乗り越えられたら、今までとは、別の世界が広がっていきます。より、深く広い、愛の気持ちを有した、大きな自分になることができます。私は今までに、そういうケースをたくさん見てきました。

十分に時間を掛けて、気持ちを歩み寄らせていきましょう。

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