私は、幼少期に、霊を把握することができていたかどうか覚えていないのでわかりません。これは「大人になってから、初めて見た(と思う)記憶」です。
あるとき、地下鉄の駅から家にむかって歩いていましたら、どうやらいつもと違う道を通っていたようで、小さい木造の家(もしくは、小屋)の前にさしかかりました。
古い建物で、人が住まなくなってしばらく経っているような雰囲気です。窓なども壊れ掛かっていたように思います。
私は方向オンチなのか、油断すると知らない道を無意識に歩いています。でも、札幌は道路が碁盤の目になっているので、ちょっとくらい違う道に入っても戻るのは簡単なので、そのときも別段気にせず、歩きながらその木造の小さい建物を眺めていたと思います。
ちょうど、夕日がさしてくる時間帯でした。建物の裏側から、表側にある窓を通して、私が歩いている道路まで光が差し込んでいました。ということは、建物の裏側も半分くらいは倒壊している状態だったのでしょうね。
窓から道路にむかって放射されている状態の光の中に「作業服をきた男性の首から下のようす」が映し出されていました。
はっきりとした人の姿というより、光の中に、光のボディーが映っていたような感じです。色彩は淡いけれど、洋服の感じなどに色がついてみえました。
私はそのようすを眺めて「これは、建物の中の、何が反射して見えているのだろう?」なんてぼんやりと考えました。
でも・・・よく考えたらあり得ません(笑)。私の立っている場所に鏡やガラスがあるならともかく、ガラス窓を通った「光」の中に人の姿らしきものが映っているのですから。
最初は意味がわからず、
( ̄_ ̄)???となりましたが、
時間とともに、状況が少しのみこめてきて、
これは( ̄_ ̄)、、、と気づき、
とりあえず頭の中を「無」にして、その場からゆっくりと歩き始めました。怖い感じとかはありませんでしたが、何も考えないように「無」にしました。
きっと、その建物にゆかりのある方が「光りの姿」になって眺めていたのでしょう。そのようすをたまたま私が見てしまった、と。
首から下のようすだったのは、窓から道路にさしている光が、ちょうど首くらいの高さまでしかなかったので、もっと幅があれば全身が見えていたのかもしれません。
男性の姿は、虹色っぽい光で、今にして思えば、それは、オーラの色彩に近い感覚だったような・・・。
たぶんこのことが、自覚している最初の経験です。
しかし、この経験の後のかなり長い期間、私は、スピリチュアルとは無縁の生活を送りつづけ、この経験も自分の中では「なかったこと」になっていましたね。忘れているわけではないけれど、意識しないようにしていた気がします。
コメント
霊というのはぼんやり見えるものでしょうか・・・
以前、早朝5時くらいにゴミを出しに行ったところ、そこに小学校2,3年生くらいの男の子が野球帽のようなものをかぶりボールを片手に持って立っていました。
「こんな時間におかしいな」と思いましたがごみを置いて戻り、家に入ろうとして「いや、やっぱりこんな時間におかしい」と思ってまたその場に走って戻ってみました。その間1分ほど。
でも、いませんでした。周りを見渡しましたが歩いていたり走っている姿はどこにも見えず、とても不思議な出来事でした。
霊がはっきりと生きている人のように見えることはないのなら、見つからなかっただけでどこかにいたのかもしれませんが。。。
MAKOさま
どのような見え方になるかは、人それぞれですね。
「直接に目でみえる人」もいれば、「内的な視野でみえる人」もいますので、
そういう差によっても、見え方はかわってきますから。
それに、人の目の機能というのは、高性能なので、
たとえば、なんとなくぼんやり見えたものを、目が補正?してくれて(^_^;)、後から思い出したときに、(ほんらいはぼんやりなのに)はっきりした印象として記憶が起こされてしまうこともあったりしますし。。。
人による違いもありますし、目が補正してしまう印象もあるので、
こちらのコメントからでは、何ともいえないですね。。。
はっきりしりたい場合は、セッションでおたずねいただければ
霊視して回答することはできるとは思いますが。