人付き合いを避けることを、正当化する言い訳。

ときどき、人との関わりから距離をとっていることについて、「自分は、深い意味があって、人間関係を避ける学びを今回の人生で選んでいるはずだ」と、主張される方がいます。

だから逃避しているのではない。自分でそれを選んでいるのだ、と。

学びは人の数だけありますから、ときにはそういう目的をもっている人生もあるのかもしれません。しかし、そういうケースはごくまれだと言えるでしょう。

なぜなら、この世には時間というしくみがあり、それによって比較という感覚が生じて、いろいろ気づくことで成長していけるようになっています。

つまり、この世に生まれてきているという時点で、人との関わりをある程度は、経験していき、気づき、学ぶ目的をもっていることになるからです。

他人という存在は、違いがあることで、自分にいろいろなことを気づかせてくれます。

「自分には、そうする理由がある」と主張する方の大部分は、若さゆえの思い込みをしているか、または、本当は分かっているけれど、そのように理屈をつけて自他を納得させたいかの、どちらかであることが多いでしょうね。

そういう主張をする方は、20代から30代になりたてくらいの方達です。40代の後半以降、50代になって、同じことを主張なさる方はまずいません。

人生の後半になると、自分の人生はなぜこんなにさびしいのか、と、孤独を嘆く方からのご相談が多くなります。人間関係を避けてきたことを後悔なさる方がたくさんいらっしゃいます。

自分には人間関係なんて必要がない、なくても平気、という態度をしていた方でも、年齢を重ねるごとにその受け止め方は変わっていき、人間関係の大切さや価値が分かっていくようになります。

結局、人間関係を避けて生きていくことができる、自らそうしていると主張するだけの気持ちの余裕がある、ということは、「恵まれているから」なんですよね・・・。

たとえば、とても身近な人間関係(家族等)には、恵まれている方が、そのありがたさを忘れて、表面だけをとらえているケースで、前述のような発言がでやすいです。

そのことに気付かなければいけないと思います。当たり前の権利とおもっていることのどれもが、当たり前ではない、ありがたい感謝の対象であると気付いていくことが、「大人になる」ということではないでしょうか。

そして、気付いたところから改善していく努力をすることで、その後の人生を豊かなものにしていけると思います。

年齢を重ねていくほどに、どうしても出てくる人生に対する儚さとか寂しさのような気持ちを、うめてくれるのは「愛」です。

愛をかわしあえる「人」は大切です。

その大切さを認めるためには、自分の中にある「人に対する、恐れ」に向き合うことも必要になります。

コメント