過去を振り返る時間より、未来を考える時間を長めにしよう

未来のことは誰にもわからない。でも過去のことは、特に後悔していることは感情とともに記憶に残りやすくいつまでも覚えている。そうなるとわかりにくい未来よりも、わかりやすい過去にばかり意識が向かい、後悔している件について「本当はどうすればよかったのか」をどこまでも掘り下げ続けてしまいます。

こういう思考にはまりこんでしまうことは誰にでもありますよね。しかし、戻ることはできない過去に意識をむけるより、新たに作っていける未来に意識を向ける時間を長くとるほうが「自分を幸せにできる」と思うのです。

過去に意識が向かうのは、その件をどのように扱っていたらよかったのかを、過去に戻れるわけではないとわかっていても一応、なぞって納得したいのだと思います。これは私自身もやりがちなので(>_<)気持ちはわかります。しかし、どの時点までさかのぼっていけば後悔している件が起こらないようにできたかは、‥‥‥たぶんわからないでしょう。

少なくとも私自身は何回もそういう思考をしてみて、相当に過去からの思考や選択を変え続けていかないと別の形にはならなかっただろうという結論になり、なんかふっきれて過去を考えることは少なくなりました。今は未来を考えている時間のほうがずっと長いです。そしてそのほうが気持ちが楽でいられます。

これからいかようにでも変えていける(作っていける)未来に意識を向けて、何をどうしていけばいいかとアイデアを練るという時間の使い方は、満足感も納得感も大きくなって楽しいものです。

コメント

  1. miさん より:

    私は、しばらくするとなんとなく、自然に気持ちに折り合いがつくような、諸々の小さな事ではなく、心がジンジンするような、本当に大きくてつらかった出来事に対して、蓋をして見ないようにしてしまう所があるように思います。
    蓋をしているうちに、時間がたって、その時の詳細を忘れ、当時のように気持ちが大きく揺さぶられる事もなくなり、大分たってからですが「そんな大変なこともあったかな」とようやく、振りかえられるようになります。けれど、それが起こった原因がそもそも自分にも、あったのではないか、また事前に気づくことで多少なりとも解消できたのではなかったのか、また同じような出来事が起こった時に、今度もきちんと対処出来ないのではないか等色々考えてしまいます。でも、結局色々考えても、(蓋をしていた分詳細もぼんやりして、、、)答えは分からず、おかしな自分ループにはまる事があったような気が致します。

    「過去にしばられるのではなく、いかようにも変えていける未来に目を向ける」という考え方は

    そんな自分へ逆の発想を頂いたような気が致しました。

    過去から学ぶべき時もあれば(私の場合
    シンプルに間違いから気付いて直すべき「思いぐせ」があるので)、時に思いきって手放してもいい場合もあるのかもしれないと思えるようになりました。

    いつも、気づかないうちに、本筋からずれていってしまう、私の理解と思考に、正しい気付きを示して下さりありがとうございます。

    • リカコ リカコ より:

      miさま
      とてもつらい出来事があったとき、その感情を持ち続けていることが苦しいので「なかったことのようにする」「見ないようにする」のは多くの人がしている自分を守るための切り替えだと思います。それでも時間がたって感情の高まりが落ちついてくると、冷静に事実をふりかえることができるようになります。見ないようにしても、自分の中に事実としての記憶は残るからです。

      ですが、miさんは、感情がおちついてしまうと出来事の詳細もわすれてしまうのですね。それはmiさんの中で「感情」と「出来事」がむすびついて「ひとかたまり」になっているためだと思います。が、これはこれで、過去にとらわれることなく、切り替えられる方法なのかもしれません。

      ただしご自身でもお書きになっているように、(気づくべきところに気づいていないので)また同じことを繰り返してしまう可能性はあります。もし同じ繰り返しをしたくなければ、がっちり蓋をしてしまうクセをやめるしかなく…、これはどちらがいいのかは一概にはいえず難しいところですが、

      ご自身が「どんな自分になりたいか」「どんな未来にしたいか」で、決めるのがいいと思います