苦手なことを直せば、その分だけ、人生が楽になる・・・ような気がするけれども、実際にはそうはならず、むしろ、そうして無理な力を掛けることが、順調な流れを押しとどめてしまうこともあります。
なぜなら、苦手を直すというのは、とっても難しいことだからです。
頑張ることはとても素晴らしいのだけれども、苦手を直すために力を掛けるより、それ以外の別のことへ力を掛けるほうがトータルでみて、得られるものが大きい場合もあります。
若い人の場合は必ずしもそうではないですが、大人の場合は、持って生まれた性質としての、苦手と得意がだいたいわかってきているでしょうから、「自分をいかす」という観点から、割り切りをしたほうが適している場合も多々あるものなのです。
もちろん、全部がそうとは言えませんし、努力をしなくてもいいという意味でもないので、この記事は長めですが、どうぞラストまでご覧になってください。
得意と苦手の差は、必ずある。
誰にも、「呼吸をするかのように自然にできる、得意なこと」もあれば、「取り組むのが憂鬱になるような、どう頑張ってもできない苦手なこと」という差があるものです。
完璧な人はいないものです。そうした凸凹は、誰にでもあります。
得意なことだけやっていけたらとても楽ですが、そう都合よくは進んでくれないもので、長い人生において、苦手分野に取り組まなければいけない場面がしばしば発生します。
苦手に取り組む「必要性」があるのか。
たとえば、仕事で、得意ではない動きや対応が求められる部署に異動になってしまう可能性は、雇われて働いている以上ついてまわることで、避けけるのは難しいです。そういうときは頑張って自分を磨いていくことですね。
ですが、苦手分野になんとかして取り組まなければ「ならない」、という「避けられないケース」ばかりではないはずです。
別に、そのままでも、これといった不都合は起こらないケースも結構あるのではないでしょうか。
もっとできたらなおいいが、今のままでは困るというほどでもない苦手分野というものがあります。
私のことを例にすると、私は泳げませんし、車の運転もできません。どちらも「できたら楽しいだろうな」「できたら便利だろうな」とは思うものの、泳げなくて困ったことはないし、運転ができないことも他の手段で代用することは可能です。
ならば、その事柄がうまくできない自分を認めてしまえば、それ以上の問題は起こりませんよね。自分がこだわらない限りはそのままで問題は発生しません。
しかし、なぜだか、私を含めた多くの人は、苦手なことに取り組んで克服したくなってしまいます。
苦手はどこまでも苦手。得意に変えることは難しい。
苦手なことに頑張ってとりくむと、達成したときに大きく成長できるような気持ちになります。たしかに、伸びる「度合い」は大きいです。スタート地点がマイナスのことを、引き上げるのですからね。
けれど、それは、過去と比較して、できる度合いが上がったというだけで、得意になったのとは違います。
多くの場合、苦手なことを頑張って「多少、ましな状態」にすることはできても、苦手を「得意」に変えることは、とても難しいものです。
苦手でも、取り組む価値があるものも、あるけれど。
苦手なことへの取り組みを、避けるべきと言っているのではないのです。そうした努力や意欲も大事なことですし、また、苦手であっても、自分自身のために取り組んでいく意義の大きいことは存在します。
しかし、苦手なことの、何もかも全部に、それを当てはめてしまうと、時間がたりなくなりますし、疲弊しますし、得意なことをする気力と時間が確保できなくなります。
そうして無理な力を掛けることで、その他の力のバランスがうまくとられないことがあったり、頑張りの力が、むしろ、順調な流れを押しとどめる力になってしまうこともあることを覚えておきましょう。
苦手を克服すべきである、という思い込みがないか。
真面目な性格の人ほど、難しいことに取り組んで克服することが成長に繋がると考えてしまい、自分にたくさんの「ねばならない」を課してしまうものです。
しかし、体はひとつであり、一日は24時間であることは変えられないので、何もかも頑張ることはできません。
そうして優先度を考えていくならば、中には、得意なことを伸ばすほうがよく、苦手に対してそこまで取り組まなくてもいいだろうという、省く選択肢はいくつか見つかっていくことが多いです。
なぜ、苦手に取り組みたくなる?
得意なことをしたほうが楽なのに、なぜ苦手なことに取り組もうとしてしまうのか。それは、苦手なことをなんとかしていくプロセスに、達成感を大きく感じやすいからです。
得意なことは、自分にとって普通にできることなので、達成感は小さいものです。自然にできてしまうことの中に、得意なことが含まれているものです。
むしろ、苦手なことを頑張って、なんとか少しでもできるようにした事柄のほうが、「伸びる度合い」が大きいので、達成感があります。これだけのことを成したという手ごたえがあって、満足感や納得があります。
そのため、やらなくて大きな問題はないはずの、「苦手を乗り越える取り組み」に自分から向かっていき、状況を混乱させてしまうことがあるのです。
取り組む意欲は、素晴らしいこと。
苦手に取り組むことが悪いという意味ではなくて、向上心は素晴らしいことなのです。
多くの人が避けたいと思う、苦手なことから逃げずに向かっていこうとすることは、誇るべきことです。
しかし、必要性の高くないことに、達成感を得るために(表面的な目的はそうではないかもしれまえせんが、実質、そういうことになってきます)自分の時間や労力を、費やしていいのかということを、考えてみましょう。
苦手を克服するために費やす力を、得意なことをより伸ばすことに向けていくほうが、「得意なことで、苦手をカバーできる」場合もありますし、いろんな方法があるものですから。
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