望ましくない結果になったり、思い通りにいかなかったときに、「自分が悪いから、結果がこうなってしまった」という考え方をするのは、
一見、謙虚な姿勢のようだけれども、そうした考え方をすべてに行うことは、こじつけになって、むしろ、気づくべきところや、論点となるところがぼやけてしまう場合があるので、注意が必要です。
この世の生活は学びですから、日々、いろんなことが起こるものです。
自分のせいではないことが、自分の責任として関わってくることもありますし、誰かのしたことに、自分がまきこまれてしまうこともあります。
自分に起こることは、そうなる意味があっておこりますから、広い意味でいえば「自分の学びのため」なので、無作為に災難が降りかかったわけではありません。それはスピリチュアリズムの基本的なとらえ方です。
けれど、そうかといって、起こったことは「何もかも、自分が悪いからそうなった」ととらえてしまうのは、逆の意味で極端すぎて、スピリチュアリズムからかけ離れてしまいます。ここは極端にならないように、気を付けていく必要があります。
起こったことは、学びとして受けとめていくことは大切です。
けれど、自分が「悪い」のだから受け入れよう、とするのではなく(それではまるで、自分でしたことの罰をうけいれるべきだ、という考え方のようで偏っています)
自分の人生に起こることはすべて、自分に「責任」があるという受け止め方をしていくのがいいでしょう。責任があるから、その対処をしていくのだ、と。
必要に応じて、たとえば改善するなり、受け流すなり、乗り越えるなりしていく経験から、身につくものがでてきて、人は成長していくのだと思います。
コメント
最近、職場で新年度の人事発表があって、それに納得がいかず周りに対して疑心暗鬼になっていました。まさに、自分が悪いからこんな結果になったんだって思っていましたが、今日の記事を読んで反省しました。悪いからではなく責任ですね。それに気づいたら、これから責任を持って良い人間関係を作る努力を自分がしていけばいいことなんだと、前向きに思い返すことができました。ありがとうございます。
ちろりん様
すべては、何か新しい経験の「機会」ととらえていくと、
自分の予想や理想とはちょっと違っている状況に直面しても、
そのことに意欲的になって進んでいけるのではないかな、と思います(^_^)!