たとえば、本を読むことや、人から話を聞くこと。必要な資料を集めたり情報収集をしたりして、知識を増やすことは、自分にインプットをする行動です。
これらは自分の人生において役立つことで、必要なことです。
けれど、そうした自分にインプットをする行動は、矢印にするとしたら、「自分側へ向かう」という内向きの行動ばかりですよね。
「たくさん行動しているのに、それらが人生に順調に反映していないような気がする」ときは、内側に向かうインプットの行動が重ねられていて、外へと反映させる目的の行動が十分でないためかもしれません。
思考が得意な人は、インプットの行動が得意。
こういう状況が起こりがちなのは、内的な思考を好むタイプです。スピリチュアルに関心がある人はこちらに該当する人が多いです。
そうなると「自分は行動力はあるのに、行動もしているのに、なぜか人生にそれが反映していくようすがみられない。もっと創造的な人生になってもいいはずなのに、これではたりないのだろうか」と、またインプットの行動を多くするという、同じ繰り返しをしてしまいます。
備えている知識を、アウトプットしていく行動を。
行動力があるのは素晴らしいことだけれども、インプットの行動のみをどれだけ多くしても、向かう先は内となり、外へ反映する作用は大きくなりません。
こういうときは、しばらくの間、インプットすることから意識を離して、自分から発するというアウトプットの行動をとりいれてみることです。
本から知識を得たならば、その知識を生活の中で実行してみる、美味しそうなレシピを知ったら、今日の夕食で実際に作ってみるというように、知識を行動にあらわしていきます。
人とのコミュニケーションはこんなふうにすると効果的らしい、という情報を得て、納得したならば、実際の人付き合いでそのことをあらわしていきます。
または、「こんなレシピがあるよ」とか、「こんなコミュニケーションは役立つらしいね」と、友だちなどに情報を伝えるという形もいいでしょう。
入れることから離れて、出すことへ意識を向けて、行動を選ぶようにします。
そうすると、得たものが内的な知恵の蓄積だけにとどまらず、誰かに伝わって役立ったり、あらわしたものが消費されたり、反応や結果が得られたりという形で、生活上のいろんな面に反映していくようになります。
そうして、誰かの反応から学ぶことがあったり、そこから次に必要な動きを見つけることに役立ったりして、繋がりが生まれます。
繋がりがあるからこそ、広がりがでるのです。
よく言われる、点と点が繋がって、線になる、みたいないことですね。線と線が交差して、網状になっていけば、さらに大きくなります。
こうした動きがでたことを実感できると、「人生に反映した」「人生が創造的になった」という感覚にもなれるのではないでしょうか。
インプットしたことを「いかす」という方向に。
インプットをすることは、アウトプットの材料となります。元となるものが何もなければ、アウトプットもできませんから、知識を取り入れることや思考をして解釈することも必要ではあるのです。
しかし、材料ばかり集めても、または、材料を活用する「方法」をたくさん知っていても、それを今の何倍も重ねても……、インプットはインプットなのですよね。矢印は、内向きの行動ばかりでは、外への反映がなされていきません。
それらを「あらわす行動」をとることで、広がりがでていきます。
アウトプットはインプットをいかすための「その先の動き」という位置付けです。
外に向けたアウトプットを、これまで得た知識をいかして、行ってみてください。
アウトプットするための、知識をまずは得ていこうと考えると、また、インプットのほうに向かってしまいますから、既に得ている知識を外にあらわすうことを優先していくといいと思います。
コメント