前世を知らなくても、今の自分を見つめれば、わかることは多々ある。

私たちは、何度も生まれ変わって、「たましいの経験」を、積み重ねています。そうした過去の人生のことを、前世といったり過去世といったりします。

前世での経験をふまえて、性質やカルマを引き継いで、さらなる学びをしているのが「今回の人生=今世」です。

学びの内容は、人の数だけ違いがあります。前世と同じようなことの、続きをしようと決めてくる場合もありますし、全くの新しいことに挑もうとする場合もあります。

今回の人生をスタートさせる時点で、つまりこの世に生まれてきた時点で、前世の記憶は、表面的には持ち合わせていませんが、たましいの深いところにはそれらはすべて刻まれています。

前世の経験をふまえて、今回の学びがある。

前世の経験までの学びの結果として、「今回の人生を生きている自分」がいることになります。そして、さらにたましいの学びはどこまでも続いていきます。

そうした引き継がれる学びという関連がありますから、今の自分に与えられている出来事にフォーカスしていけば、自分のたましいが学ぼうとしている課題の一部分が見えてくるものです。明確にこれ、といえるものではなくても、だいたいこういうことではないかという推察はつけられるものと思います。

前世での「職業」は、一要素に過ぎない。

前世の職業を知ることも、ひとつの目安にはなるでしょう。けれど、職業で、性格や資質が作られるものでもないので、職業によって置かれる環境からの影響は幾らかはあるとしても、それが全部を決めるものではないですから、その点は理解をしておいてください。

世の中を見渡せばわかるように、同じ職業だからといって、皆が同じ性格ではありませんね。たとえば教師という職業の人達の性格は揃っているわけではありません。いろんな性格の人がいます。前世でもそれは同じことです。

その時代と職業によって、ある一定の傾向はあるとは思います。たとえば大昔の時代に、知識階級の職業についていれば、相応の知性がある方だとは言えるでしょうし、昔の時代の「先生」や「地主さん」は、尊敬されたり尊重されたりという扱いを受けていただろうから、そこからの影響もあるだろう、という推察はつけられます。

しかし、持ってうまれた先天的な「たましいの性質」といものがあり、後天的な生活からすべてが作られるものではありませんし、職業によって磨かれたり身についたりする部分も人それぞれなので、「この職業なら、こういう性格」という定義にはなりません。

前世を知るとしたら、大切なことは職種そのものではなく、その生き方を通して「何を学んで、何を得たか(身につけたか)」という点ですから、職業というカテゴライズは認識の仕方としてわかいやすいけれども、職業名だけにとらわれないようにしましょう。

たましいの学びは、引き継がれていくもの。

そしてこの点が一番大切なことですが、たましいの学びは引き継がれます。同じたましいのうちの、一部分がわかれて、この世にやってきて経験を重ねていくしくみです。引き継がれるのだから、前世が具体的にどのような職業で、どんな過ごし方をしたかという詳細を把握いていなくても、今の自分をみつめていけば、今回の人生でのテーマは見えてくるものです。

そうはいっても、比較対象がまったくなく、思考をしていく糸口となるものもなければ、なかなか、今の自分をみつめることを自ら行うのは難しいものです。そのためのきっかけとして、いわゆる前世リーディングは役立つかもしれません。今回の人生の学びを、意識しやすくするために、そうした方法が役立つこともあるでしょう。

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