お金を使う経験も、この世を生きるための必要な学びです。

この世をにおいて、お金というのは、とても便利な道具です。やりとりをしたり、しくみを展開させるために、お金が介在することで、ものごとの動きがわかりやすいものとなります。

スピリチュアルに関心がある方は、お金をたくさん望むことは「あまりに現実的すぎる」というイメージのためか、そうした考え方が敬遠されがちなところがあります。

しかし、この世での生活にはお金は必要ですよね。

関心の対象がお金ばかりになったら問題ですが、しかし、適度な範囲の関心をもつことは、むしろ、この人生において、大事な学びでもあると思います。

すべてのものに、価値がある。

スピリチュアリズムでは、私たち人間は、肉体という器をもっている、霊的な存在であると考えます。

形のあるものの中に、形のないものが存在していて、この両方をあわせもっているのが私たちであるという位置付けで、形のないしくみや思いなどの中にも、霊的な観点からの真理があるととらえていきます。

こうしたしくみを前提として考えると、ときに、形のないものほど崇高で、形があるものは低いものだと誤解して、物質を軽視したり、価値を否定したりしてしまうことがありますが、こうした理解は正しいものではありません。

お金や物質「だけ」を意識するのは偏っていますが、しかし、お金や物質を「必要以上に軽視」するのも、逆の意味で偏ってしまいます。

お金は、この世で生活するための便利な道具のひとつ。

お金があっても、心が満たされるとは限りませんし、お金があると手に入るものの幅は広がるけれど、しかし何でも手に入るわけではありません。お金という価値が通用する限界はあります。

しかし、だからといって、お金が不必要ということではないし、お金で得られるものを軽視する必要もありませんよね。手に入るものの幅が広がる価値は大きいものです。

お金とは、この世で生活していくための「必要で便利な道具」です。

それ自体が良いとか悪いとかで計るようなものではありません。

偏らないように、バランス感覚をもつこと。

スピリチュアルなことに関心が深い方で、かつ、知識がまだ十分でないときには、なんとかして自分をより霊的にしていこうという思い入れがつよすぎたり、また、物質主義への傾倒を戒めるあまり、お金を「悪いもの」のようにとらえてしまうことがあります。

けれど、お金をどのように扱い、自分の人生をどのように運んでいくかは、この世で生きていく限り、避けて通れない学びでもあるのです。

誰もが、この世での生活の中で、成長をしていくしくみなのですから、必要なものは認めていくことが大事です。

その上で、お金「だけ」に偏らないバランス感覚をもっていくことが、大事なことではないでしょうか。

もしも、この世という物質社会において、お金という道具が存在しないとしたら、平和で秩序ある日常生活を送ることが困難になります。

お金を介して価値を計ってやりとりをするというしくみが、存在しない世の中で、たくさんの人が過ごす世界は、あらゆるものが混乱するでしょう。

お金には、お金の役割があり、価値があります。

そういう価値を、そのまま認めればいいですよね。それ以上に扱う必要もないし、その価値を否定する必要もなく、そのままをとらえていくのがいいと思います。

とらわれないように、というとらわれから抜ける。

お金とは、この世の事柄をスムーズにうごかすための、便利な道具であり、私たちがこの世で人として学んでいくための、あらゆる出来事の経験も、スムーズにしてくれる役割があります。

この役割を、他のものにたとえるならば、「針の糸通し」のようなものです。

糸通しがメインではなく、そこを「通っていく糸」のほうがメインです。

お金もまた、それがメインではなく、お金をやりとりする社会というしくみあから、私たちが学ぶことができる意義の大きさを理解していけば、「お金にとらわれてはいけない、というとらわれ」から、抜けていくことができるでしょう。

(単なる道具である)お金を、必要以上に悪いものととらえたり、お金を大事に思う自分を否定したりすることなく、生活上の価値を認めていき、お金をうまく使って、自分が成長していけたらそれはとても素晴らしいことです。

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