会社の上司が、自分よりも幼く思えてしまうときには。

私たちは、肉体をもった「たましい」の存在であるというのが、スピリチュアルな解釈の基本前提となります。そうした観点からいえば、この世という場所は、たましいの経験値が多い人と、そうでない人が、混在している場所となります。

そして、生まれてから今までの年数という「肉体の年齢」と、何度も生まれ変わってたくさんの経験値をもっている「たましいの年齢」は、必ずしも比例しません。この世での肉体の年齢が自分よりも上でも、たましいの年齢は自分より若く、十分な経験値をもっていない、というケースもありうることです。

会社の上司のほうが、たましい年齢が若いこともありうる。

人間関係において、そうした組み合わせはよくあることですから、たましい年齢という知識があれば、多少のことは「そういう人もいる」と受けとめていけます。

しかし、会社という利害が絡む場所で、命令系統が「上」となる上司が自分より幼い感性のように思えるときは、受け入れることに抵抗感があるものです。気持ちの問題だけでなく、物理的な業務自体にもうまくかみあわないところがでてきてしまうからです。

そういう状況では、「下」の立場である部下は、かなりストレスを感じることになると思います。 「上」である相手を尊敬できないのは辛いものです。

年下で経験が少ない自分ですら分かることが、なぜこんなにも分からないのだろう?、どうしてそんな子供みたいな振る舞いをするのだろう?、と、もやもやした不満や、この状況を変えたいけれど変えようがないという苦しさが出てくるでしょう。

そういうときには、スピリチュアリズムの観点で考えてみてください。

たましいの年齢は、肉体の年齢とは比例しないこともあり、自分にとって簡単で常識だと思うことがわからない人もいれば、気にしない人もいる。そういういろんなたましいが混在している場所で、自分は学びをしているのだということを。

そして、次のように、この世の観点からも考えてみましょう。

役職や年齢が上という「事実」を尊重することも大事。

仮に、自分と上司のたましいた、そうした構図になっていても、それはそれであって、この物質社会の中における役職や年齢は、自分より「上」の「長い経験をもつ」ことは変わらず、組織の中ではそれに合わせたり従ったりして、仕事をやっていかなければならない。それも学びだということです。

上司という立場には変わりがないのですから、相手を低くみるような思いや言動は控えるようにしましょう。心の中で思うことまでは・・・止められないとしても、心の中だけで留めておくことですね。

この世の中は、たくさんの人がいて、自分と相手の間につくられる関係性から、たくさんの学びを得ていくことができます。そういう上司の下で働くという状況も、何かを学び取れる機会ではあるのだから、そこは自分の受けとめ方次第です。

価値観が混在しているこの世で生きる学び。

スムーズにいかない何かがあるからこそ、私たちは、立ち止まり、自分を振り返り、深く考えることを行います。そうでなければ、なかなか、自分を振り返って考えたりはしないものです。

仕事は、一日の大半を費やすために、悩みの比重として大きく感じられてしまいますが、そうした「上下の差」と「たましいの経験の差」が比例しないケースは、あらゆる形で世の中にあふれています。そのパターンのひとつを、会社という場所で経験している、というだけなのです。

会社の人間関係は、お金と生活に直結していることなので、感性が合わないからといって簡単にその場所を去ることもできず・・・、だからこそ、そういう難しさのある状況に身を置いて学ぶことができているとも言えます。

実際に、お互いのたましいの年齢がどうなのか、というのは、はっきり分かるわけではないので、そこは、だいたいの自分の感覚でとらえていくしかありません。ですから、自分の思い込みで相手を低く見てしまうこともあるかもしれませんので、そこは気を付けてください。

そうした、たましいの関係性が存在したとしても、現実の仕事の関係性は、現実のものとして受けとめていくべきであり、スピリチュアリズムを現実逃避の材料にすることなく受けとめていきましょう。仕事に対する真摯な姿勢はどちらにしても必要なことですから。

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