「合うもの」は、手間を省き、自分を一番引き立たせてくれる。

あらゆる事柄において、自分に「合うもの」を選択すると、その他の手間が省けたり、無駄がなくなったりします。

作業が効率化されますし、自分に馴染んでいるので居心地よくいられます。

そうした「合っている」「馴染んでいる」雰囲気を放っていると、周囲に与える印象もよいものとなることが多いようです。

合わないものを選ぶと、手間が増えてしまう。

洋服を例えにしてみると、自分に「似合う服」を着た場合、そのままで似合いますから、似合わせるための工夫とか努力とかは特に必要ではありませんよね。

けれど、自分に「似合わない服」を着ると、・・・そのままでは似合わないので、なんとか形になるようにアレンジしたり、別のものを組み合わせたりして見栄えを整えるというふうに、作業が増えることになります。

ときには、新たに「組み合わせるものを購入する」必要もあるかもしれません。

気持ちの上でも、合わないものを身につけていると「これで大丈夫かな?」「おかしくないかな?」「アレンジしたことで、前よりよくなったかな?」と心配になります。これらは、似合うものを身につけていれば発生することのない心配です。

そういうところを意識することにエネルギーをたくさん使うと、その他の行動のほうへまわすエネルギーがたりなくなって、消耗します。

合うものを選ぶのが、一番スムーズになる。

洋服を着るだけが目的なら、手間が掛かってエネルギーを使い切っても問題ないけれど、普通は「その洋服を着て、何らかの行動をとる」ものですよね。

たとえば、仕事で得意先に出掛けて営業をしてくるとか、友だちと食事にいって楽しむとか。服装は、その行動のための準備の行動です。

けれど、洋服を似合わせるために、たくさんのエネルギーを使ってしまうと、そうした「本来の目的に使うエネルギー」が十分でなくなります。

疲れて余裕がない状態で、会話に自分らしさがあらわれなかったり、営業力を存分に発揮できなかったりとなっては本末転倒です。

似合うものを着て、不要なプロセスを省き、本来の目的のほうに力を注いでいけたら、すべてが一番スムーズになると言えるのではないでしょうか。とってもシンプルで簡単なしくみですよね。似合うものが一番で、似合うものが楽なのです。

工夫して合わせることに、楽しみもあるけれど。

合っていることや、向いていることは、そのままでうまくいったり、よい印象を与えたりしやすいです。(合わせるための手間がいらないので)作業が少なく、心配な箇所も少なくなるので余裕も作られます。

合わないことを、なんとかしてうまくいかせようという取り組み方は、合わせるためのプロセスが必要になります。

そのしくみはわかっていても、合わないことを、なんとかしてうまくいかせようと「したくなる」のは、バリエーションをつけたくなる、もっと幅を出してみたいという気持ちになるからですね。

洋服に例えるならば、いろんなテイストのものを着こなしたいとか、流行のものを身につけたいという気持ちになることはあるものです。

たとえば、「似合う色はピンクだけれども、青や赤をクールに着こなしてみたい」と思うことはあるものです。

自分の楽しみのため、そうしたいという気持ちを満足させる目的で、わかった上でそうして楽しむのは問題ありません。ですが、やはりプロセスは増えますし「そのままで似合うもの」と、同じレベルで似合うとまではいかないケースのほうが多いことは覚えておきましょう。

自分が選べる事柄には「合うもの」を選ぼう。

「自分に合うものは、このスタイルだから」という、自主的な選択ができないケースもあるものです。たとえば会社内の役割分担など、自分では選べず、他人が選ぶ(決める)状況になることもあります。

そういう場合は、それも仕事のうちとして努力して頑張ることが必要であり大切です。それが雇われて働くということでもありますからね。

ですが、自分で合うものを選べる状況においては、合うものを選ぶのが一番スムーズです。頑張りの度合いが最小限ですみます。

合わないものをわざわざ選んで、頑張って合わせるというプロセスは・・・本当に必要なのかどうか、よく考えることが必要です。

最初のたとえ話の「服」に話を戻すと、似合わない服を、身につけておかしくない組み合わせにしようとすれば、小物を新たに購入したり、コーディネイトに迷う時間を掛けたりすることが必要になりますよね。似合うものを選ぶとそこが省けるか、最小限ですみます。

そうした努力や工夫をしてでも、その選択肢をとることが有意義になるのか、それとも、自分が「こうだったらいいな」と思い入れをもっていいるだけなのか、冷静に事実としての分析をしてみて、より「自分をうまく運ばせていく選択」をとるのがよいでしょう。

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