「自分のスピリチュアルな体験」に、友だちが関心を示してくれないのは。

女性は、言語能力が優れていますから、会話をするのが上手であり楽しいと感じる方が多いです。また、女性同士の人間関係は、共感で繋がりがつくられますので、自分が体験したことや、それについてどう感じたかを話し合って「すごいね」とか「あるある!」とか「私も経験してみたい」となって話が広がったり、親しみがわいたりするものです。

それなのに、「自分のスピリチュアル体験話」については、思っているほど相手が「話に乗ってこない」ことが少なくないようです。

女性は、自分の体験や感動を伝えて共有したい。

スピリチュアルなことに関心がある方は、自分が体験して感動したり学びになったりした「不思議な出来事」や、「スピリチュアルな要素が関連している体験」を知り合いに話して、この感覚を共有したいと思うことがあるようです。

けれど、多くの場合、相手からは期待していたような反応を得られず、軽く流されたり、しらけた雰囲気になったり……、自分が感動したあの感覚が伝わらないのかと、がっかりしてしまう結果になるのではないでしょうか。

自分がその事柄への思い入れが深かったり、感動が大きかったりするほど、その温度差がなんともいえず寂しいものに感じられてしまうかもしれません。

話す側と、聞く側の「受け止め方の温度差」がでてくる。

そうした経験をもつ方に、理解しておいていただきたい点は2つあります。ちょうどよい距離感でつきあっていくためには、意識しておくとよいと思います。

内的なことを言い表すのは、難しいもの。

まずひとつは、スピリチュアルな事柄というのは、とっても内的なことですから、体験した事柄に関する自分の思いや気づきを、相手にも伝わるようにと言葉に表すのは、とっても難しいものだということです。事実そのものを言い表すようにはいかず、うまく伝わらなくても「そういうもの」です。

今はスピリチュアルな知識がわりと一般的になってきましたし、女性はそういう話題を好む人が多いです。

しかし、女性の全員がそういうことに関心があるわけではないですから、前提となっている知識量も関心の度合いも、違っている場合もあるでしょう。

たとえば「ネイル」や「パンケーキ」のように、その単語から簡単にイメージがつきやすい題材と同じ度合いで、「オーラ」や「ソウルメイト」が理解されるとは限らないということです。

それは、相手にも役立つ話題なのか、ということ。

そしてもうひとつは、たとえ相手がスピリチュアルに興味をもっていたり、関心が深かったりした場合でも、「他人の不思議体験というのは、そんなに面白い話題ではない」ということです。

「へえー、そんなことがあったの」というくらいは思うとしても、そこからさらに掘り下げたり、解釈を膨らませたりして楽しみたいような話題ではないんですよね。

それはひとつめに書いたとおり、内的なことが多分に絡んでの思いや気づきが含まれますから、パーソナルな領域のことは共感しきれないこともあります。これも「そういうもの」として受けとめるほうがいいですね。

スピリチュアルに興味や関心がある方と、そうした話題をしたいなら、話題の選び方としては「相手にも役立つ学びや知識となりそうなこと」のほうがいいでしょう。そういうことなら関心をもたれやすいと思います。

当事者である自分と、そうでない相手の認識は差がつくもの。

どんなに仲が良い相手でも、スピリチュアルに関心をもっている人同士でも、自分の個人的な不思議体験話は、認識の温度差がついてしまうものです。考えてみれば当然ですよね、「当事者」と「第三者」という立場の違いがあるのですから。

自分にとっては、その体験に至るまでの「いろいろ」があって、そのすべてを知っています。その上での体験だからこそ感慨深いのです。

他人の受け止め方はそれと同じにはならず、クールな反応になることがあっても、それも「ありうること」です。そのくらいの受けとめ方がいいと思います。

その価値を、自分が分かっていればいい。

その出来事が、自分にとってどのくらい印象深く、どのくらい深い気づきがあったかは、自分自身が知っています。

その出来事の価値は、人と共有するか否かで決まることではなく、自分自身が決めることです。そのように受けとめていけば、気持ちがすっきりとして割りきれますし、経験した気づきを自分が認めていけばいいんだと思っていけるのではないでしょうか。

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