スピリチュアルなエネルギーを受けとるときに、色としてとらえるのが上手な人と、光としてとらえるのが上手な人とがいます。
見える、感じる、わかるというセンサーに、色の違いとして伝わるか、光の明度や輝度の違いとしてつたわるかということです。
この特徴により、エネルギーをリーディングするときの
ふさわしい手法や道具が変わってきたりします。
先日のセッションで、「スピリチュアルな能力のリーディング」をしたときに、この話をしたところ、お客様は理系の大学の先生で、
これはタンパク質の種類によると教えてくれました笑
色をとらえる細胞と、光をとらえる細胞が違うのだと。もちろん霊的なことではなく、肉眼の視覚についての話ですが。
色か、光か、というタイトルにしていますが、これは並列になるのではなく、光のほうがより広い概念、その内輪に色が存在するのだと思います。
現実的な学問の場合も、スピリチュアルな解釈の場合も。
スピリチュアルな解釈でも、エネルギーを光としてとらえられる人は、幅広く応用がきくがざっくりな受けとり方になり、色としてとらえられる人は、比較的はっきり狭められる利点はあるが適応範囲が狭くて他に応用されにくいイメージです。
ちなみに私自身は、光としてとらえるタイプです。
光としてとらえる範囲の中に、(オーラの)色が含まれる感じです。
コメント
先日はありがとうございました。
スピリチュアルなエネルギーを視覚で受け取る場合、光の明るさ、あるいは色として感じるかということが、まさに人間の視覚の仕組みと同じと知り、大変興奮しました。
ですが、あらためて考えると、人間の体をまとった私たちが物質的なものであれスピリチュアルなものであれ何かを感知するには、人間の体に備わったものを利用するしかないので、このことは当たり前なのだと気づきました。
人間は外界の光を網膜に存在する明るさを感じる細胞と色を感じる細胞で受け取って、その刺激を神経で脳に伝達し、脳でイメージを構築しますが、この仕組みを流用してスピリチュアルなエネルギーを感じ取っているのですね。
私の場合、明るさの刺激を伝えるルートが優位なので、モノクロの画像に部分的に少しだけ色が入ったイメージで見えるのですね。
逆に、死後、魂だけの存在になったら、体の感覚器が使えなくなるので、どんなふうにエネルギーを受け取るのか、とても興味がわきますね。
その時が来たら、こうやって受け取るのか!と感動すると思います。
今から楽しみです(笑)
理系の人さま
こちらこそ、先日はセッションをご利用いただきありがとうございました
おっしゃるとおり、人の体という物質をまとっているので、何かを感知するときには肉体の器官を利用することになり、それはスピリチュアルなエネルギーも例外ではないということですね。
今回題材になっている、見ることの「色か光か」もそうですし、感じ方そのものの「見えるか聞こえるか感じるか」等も、もともともっている優位なルートがつかわれて、得意分野が決まっているというしくみです。さすがわかりやすい文章での解説(補足)、ありがとうございます!
肉体がうしなわれて魂だけの存在になったら…、おそらく、物質的なとらわれがなくなるので、エネルギーを「受けとる」ということからして必要ないのかもしれませんね。肉体がうしなわれてエネルギーそのものになりますから、エネルギーとエネルギーは(それぞれ波長が違うとしても)、いとも簡単に干渉しあって伝わりあう、ということではないかなーと思っています。