人付き合いから得られる楽しさや喜びと、負担は、セットになっている。

日々の生活の中で、自分に負担や困難を与えてくれる笑 のが、他人という存在です。自分以外の人との関わりというのは、難しくて負担で面倒なものです。負担とまで感じるかという度合いはともかく、現実的に負担がゼロということはないですよね。

しかし、そうした難しさがある日々の中で、楽しさや喜びを与えてくれるのもまた、人という存在です。

人間関係は、裏も表もあって「ひとつ」。

人と関わって毎日を送っていくということは、そこから感じられる負担と喜びと、どちらも経験するということです。

一方だけのいいとこ取りはできません。その理由は、その二つは裏表で繋がっている「ひとつ」だからですね。

表だけを経験することはできず、人付き合いとは両面をまとめて引き受けて付き合っていくことになります。

これらはわけられないものだとわかっておけば、いい意味でわりきりができます。全体的なとらえ方をすると、負担なところばかりにフォーカスしなくなり、楽しみを見いだしやすくなります。

わけられないことがわかっていないときは、表だけを得るために、裏を排除しようとしてしまいます。負担や困難を遠ざけようとすると、結果として、(裏も表も繋がっていてひとつですから)人そのものを遠ざけてしまうという、思わぬ形になってしまうこともあります。

負担があるから、楽しみが得られる。

裏と表は繋がっていますから、人から得るとしたら、負担と楽しみの両方なのです。一部分だけを得たいと思い、「負担を除いて、楽しみのみ残す」という考え方は、例えるなら「リンゴの皮には触れずに、芯だけください」みたいな、無理なことなんですよね。いやなことを遠ざけようとすると、得たいものまで一緒に遠ざかってしまいます。

もしも今、自分の周囲にあるのが、負担ばかり感じてしまう関係ばかりだとしても、自分の考え方や行動のパターンをかえてみれば、楽しみや喜びが見いだせることもあるでしょう。または、負担ばかりの関係で経験値を増やしておくことで、違う場所での人間関係をうまくやることに役立ったりして、それも合わせて考えると(それぞれ対象が違うけれども、自分にとっての)裏表になりますね。

いやなことを排除しようという方向にいくと、そちらに「自分が」注目しているから、なおさら、いやなことが目立つんですよね。そして他の可能性が視界にはいりません。

少し、その状況から距離をとって眺めるつもりで、全体をみて、「別の面を、自分が掘り起こして手に入れてみよう」というふうに意識的になっていけば、たくさんの実りを発掘できる可能性があるとわかります。

今までまったく掘り起こしていない「手つかず」の土地は、固いので掘り起こすのは大変だけれども、しかしその分、手つかずのまま「いろんなものが」眠ったままになっていますから、役立つものはたくさん得られる可能性も高いということですよね!

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