人間関係全般の関わりやつながりには、同じ要素を持つもの同士が引き合うという「波長の法則」が大きく関連します。
同じ要素をもつもの同士が引きあうということは、逆にいえば、同じ要素をもたないならば引きあうことがありません。
このしくみは、新しく知り合う機会においても、既に作られている関係においても作用しますので、たとえば「以前は共通要素から関係がつくられていたが、今は共通要素が薄れていき関係も遠くなる」ことが起こり得るのです。
時間とともに、関係も変化する。
たとえば「以前はもっと頻繁にやりとりをしていたのに、近頃はそこまでの関係ではなくなってきた」とか「以前は意気投合していたが、近頃は意見が合わなくなってきたな」と思う関係は、
自分か相手か、または両方の変化によって、引きあう共通要素が薄れてきたためかもしれません。関係がこじれるようなトラブルや問題がなくても、つながりが薄れたり遠ざかったりすることはあるものです。
以前の距離感や親しさと比較すると、変化した関係になんともいえない寂しさはでてきてしまうけれど、この世には「時間」という変化のしくみがあるので、同じところに留まり続けることができません。
誰もが成長という変化をしていくので、お互いに、何も問題などはなくても、ときにそういう変化も起こり得ると受けとめていくことが必要ですね。
ちょっと寂しいかもしれませんが、変化によって(引きあうものが変わり)つくられる、新たな関わりに意識を向けていくことも大事だと思います。
そして、一度薄れた関係も未来のどこかでまた関わりがつくられることもあります。疎遠になった状態もまた変化するものだと考えれば少し、気持ちが楽になりますね。
再びのつながりがつくられる場合も。
人との関わりの縁とは不思議なもので、過去にとても大きくこじれてしまった関係でも時間が経つことで再びのつながりがつくられることはあります。
大きくこじれた関係でもそうなることがあるのですから、トラブルもないまま疎遠になっただけなら、少しのきっかけでつながりがつくられることもあるでしょう。
そうなるか、そうはならいか。そこは自分の意思だけではない他の要素もいろいろ関係してきますから(お互いの学びの必要性など)、いつかそういう未来があればいいというくらいの思いで、「お互いにとって必要な学びを重ねて人生は進んでいく」ことを信じて、委ねていけばいいのだと思います。
コメント
ある一定の期間、とても懇意にしていた友人がいました。深く繋がりを持つ要素が幾つかあったので、いわゆる親友に近い存在です。しかし、ある時期からお互いが共通の要素とは違う方向性に目を向け始めたのをきっかけに関係が変化しました。
私は割と1人でも安心できる人間関係があると他に興味が薄れる傾向があるので、他者との関わりが広がりにくいタイプでした。
懇意にしていた友人との関係が変化して、自分が関心のある世界に踏み出し始めた時、新たに出来た人間関係が思いのほか心地よいものでした。ひとつひとつが深い関係ばかりではありませんが、たくさんの方との関わりから得る刺激が自分に良い影響を与えている実感があります。
何より自分を客観視して自己肯定感も少しずつ芽生えたのが良かったと感じています。
懇意にしていた友人とは今もたまに会いますが、以前の関係性からの変化を如実に感じます。
深く関わっていた頃は、エネルギーに感化されやすい自分の性質をコントロール出来ていなかったので、振れ幅が大きく大変でした。
(友人自身に何か原因や思惑がある訳では無く、私側の性質の問題です)
これからも友人との交流を楽しみながらも、自分の世界を広げていく事を心がけていきたいです。
ゆくり様
ご自身の「関心の対象」や「行動の範囲」が広がったことが、そのまま「人間関係の対象」と「人間関係の範囲」に反映している感じで、自分のエネルギーが向かう先が、いろんなものごととの関係の深さや広さをつくっているのだと気づかされますね。
ひとりと深い関係にあるときは、お互いの共通点からの学びが大きい気がします。似ているところの安心、同じ解釈で深堀できるなど。たくさんの人と浅く広い関係があるときは、違いからの学びもありますよね。引きあうところがわずかなので、違いが見えやすく、そこが新しい刺激になる。どちらもそれぞれいいところがあるけれど、今のゆくりさんには後者があっているということなのかなと思います