カルマの法則とは、自分が蒔いた種が自分のゆく道に実るという、真理の法則です。
悪いことをすればその罰がある、という単純な意味には解釈しないでください。本来の意味は、悪いことであろうと、良いことであろうと、自分が原因をつくったことはすべて、自分が結果を引き受けるという形でものごとが展開されるということです。
この世で展開するすべての出来事には、それぞれ深い意味と学びがあり、そのひとつひとつに、悪いこと、良いこと、という定義はつけられません。であれば、悪いことをすれば罰がくる、という考え方もあてはまらないとわかります。
カルマの法則とは、懲罰の法則ではないです。カルマという言葉への謝った認識から、この真理の法則は恐ろしいもののようにゆがめられて誤解をされています。
カルマの法則とは、すべての出来事には原因が存在し、原因のない結果が単独で展開することはなく、あらゆる原因がいつか必ず何かの結果を伴うという、出来事が起こるしくみのことです。
私たちはこの世という場所で、このしくみがつくる結果の連続の中で人生という経験を重ねています。自分にとって不都合なことが起こったときだけ、これはカルマだろうか、だとすれば恐ろしい、というような受け止め方からは卒業しましょう。
この法則は、自分自身について、気づかせてくれる法則です。
もしも自分が進みたい道に、過去の自分が蒔いた種が成長した草木が茂って、行く手を阻んだとしたら、それは誰の責任であるか、
それは自分以外にありません。
この法則で物事を考えていくと、どんなこともすべて自分が蒔いた種であり、自分の行く道を喜びでいっぱいにするも、困難でいっぱいにするも、自分次第であることがわかります。
この法則を正しく理解することで、この世の学びは加速しますが、この理解は本当に難しいものです。
この世の展開は、この法則で動いていきますから、必ず気づくようになっていて、学ばされるようになっています。それぞれにふさわしいタイミングで、経験を通して理解が深まっていくようになっていますから、早く進もうとしても、進むべき早さ以上には、やはり進めないようになっています。
ですので、必要以上にとらわれることなく「こういう法則の下に自分が学びをしている」ことをときどき振り返ってみるくらいで十分だと思います。
コメント
長年の否定や過小評価によって作り上げられたねじれた自分の思考のクセに気がつくまで、とても時間がかかりました。
リカコさんのブログをかなり昔から読ませて頂いていても、自分への否定が引き起こす影響の意味を本当に理解し始めるまで時間が必要だったのだと痛感しています。
まだ全てを理解は出来ていませんが、少し前進したきっかけとなったとなったのは、
「結局、自分から逃げていては何の解決にもならない…」
という考えに行き着いたからでした。
自分の内面に向き合う怖さから、いつも誰かに答えを求めていました。他人は助言はできるけど、結局、答えは自分自身が気づく事。
するとブログで教えて頂くスピリチュアルの仕組みや解釈が急速に腑に落ちてくるようになりました。エネルギーに影響を受けやすい自分の性質を把握できたのも大きな進歩でした。
今までにはもちろん良い事もあったけれど、なるほど、自分の否定からくる行いや思考が蒔いた種が実となり、これまでの私のゆく道に実を落としてきていたのか…!
それなら、まずはできる範囲で良いから否定を変えてみたいとなんだかポジティブな思考が浮かんできました。
カルマの法則によって、長い期間をかけて過去に蒔いてきた種の実を収穫する作業はまだしばらくは続く事を理解しながら、少し変化して新しく蒔いた種がどのように実をつけて収穫に至るかを少しでも感じていければと思います。
ゆくり様
自分への否定に気づいた状態から、過去を眺めるとよくわかることも、その渦中にあるときは(否定のフィルターも含めて自分自身だととらえてしまうので)今の感覚からすれば不思議なくらいに、気づけないものなんですよね(^-^; 書かれているとおりで、とても時間がかかるものなのです。これまで認識にバイアスをかけていたものがいくらかでも外れると、スピリチュアルの仕組みも含めていろんなことが深く入ってくるようになるのでわかることも増えますよね。
さらに深く否定を手放したい場合は、ぜひ「否定を手放すこと」を相談事項としてセッションをご利用ください。どのように自分の根本に意識を向けて否定を見つけるかという「方法」をお伝えします。自力では表面のことは見つけやすいですが、根本は見つけにくいのでセッションをご利用いただけると進みは速くなると思います(この相談事項の所要時間は20~30分くらいです)。
このコメントに書かれている内容を拝見すると、かなり前進がみられるので素晴らしいと思います。自分に向き合っていくとこれからの未来が楽しみになっていきますよね☆