力を抜くことは、手抜きではない。過去の頑張りの否定にもならない。

全力で一生懸命に頑張るよりも、少し力を抜いて余裕を持っていくほうが、成果が大きくなることもあります。

頭ではそのことをわかっているし、他人に対しては当てはめて考えられるのだけれども、自分のこととなると、力を抜くことができない、力一杯やらないとやったきがしないという人は少なくないものです。

そうなってしまうのは、「努力をしないで、楽に成果を手にすることは模範的なやり方ではない」という気持ちがあるためでしょう。

逆にいえば、模範的でなければ!という気持ちがとても強いのです。「成果とは、苦労の末に手にすべきもの」という価値観があり、それを守ることで自分を安心させたいという思いもまた強く、

力を抜いて余裕を持つやり方は、これまで頑張ってきた自分を否定するような気がしてしまい、簡単にできるならそうしたいと望んでいながらも、その方法を認めることも選択することもできなくなります。

確かに、現実を眺めてみれば、苦労の経験が、大きな成果に繋がることは多く、努力をすることは大事です。

けれど、成果を手にするために、苦労が必須、ということではないし、苦労の経験からしか学べないわけでもありません。

たとえば、手間を省いて、効率良く成果を上げることができることも、その仕組みを見つけ出すことができた、という意味の学びはありますし、過去の経験が活かされて、工夫を生み出すことができたわけで、それは楽をして得をしたのとは違いますよね。

その点に、今までとは別の価値を認めていくこと、それを自分に許可することが大事だと思います。

手を抜けない方は、なかなかそれができません。

どこまでも真面目に頑張る自分であることが、心を支えていたので、力を抜いて成果を得ることを認めたり、自分が得てしまうことは、過去の自分が覆される、全否定されてしまう、という気持ちになってしまうからです。

適度であることも大事で、力を抜くほうが成果に繋がることもあると、頭では分かっているのだけれど、感情がそれを認められずに、「そのやり方では、この点がダメだから」と、否定する材料を探したくなります。

そのやり方ではダメだと証明するためには、「やはり、苦労の経験こそが大事だ、と、自分が体現すればいい。そうすれば、頑張りこそが良い方法だと肯定される」という考えになってしまうので、どこまでも手を抜けずに消耗するまで、ときには、消耗してもなお、頑張り続けてしまいます。

その状況から、抜け出せない人は、以下のように考えてみてください。

今までの価値観は、今までの自分を支えてきたこと、それはまぎれもない事実で、必要なことでした。

そして、今までとは違う新しい価値観を、一部、取り入れたとしても、それによって、過去が全否定されるわけではありません。それはそれ、これはこれ、で別の事柄なのです。

今までと同様に、真面目に努力を続け、ときに、ゆとりを持つことや、ペースダウンをすることも心掛けていく、そのほうが、メリハリがつくので、「真面目な努力が、より活かされていく」ことになる。

今までの価値観を丸ごと変えるのではなく、それをより活かすための工夫を加えるのだと。

そのような意識になれれば、ちょうどよいバランスが見つかり、もとより、努力を厭わないという素晴らしい性質を備えているのですから、流されることもなく、望ましいペースで、取り組んでいくことができるはずです。

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