周囲にいる誰かが発した何気ないひと言が、ちょうど、そのとき自分が迷っていることのヒントになったり、はっとするような大きな気づきになったりすることがあるものです。
こういうことは不思議と、「なぜかその人の声のみが、際だって大きく聞こえる」などして、印象に残るようになっているようです。
そうした現象が頻繁に起こるときは、感性が「冴えているとき」であり、また、霊界のほうからの働きかけとして「より一層の成長をうながされているとき」であることが多いようです。
霊的な領域の事柄は、記憶に定着しにくい。
「誰かの発するひと言が、自分に関連しているヒントになっている」現象が頻繁に起こるときは、自分のアンテナが鋭くなっている(受けとる、気づく体制になっている)ためと、
霊的な世界からの働きかけが大きくなっている(与えられている、気づきやすい状況を整えてもらっている)ことの両方が関連しています。
こうした状況は、自分自身がとても大きなアンテナになっているようなもので、意識が普段よりも、霊的な領域にチャンネルがあいやすくなっています。
しかし、霊的な作用が関連している事柄は、記憶として定着しにくいという特徴があります。
スピリチュアルな領域の意識というのは、こちら世界の領域とは波長が違うため、記憶に残りにくくすぐに頭から抜けていってしまいます。
たとえば、寝ている間に見た夢は、起きてしばらくすると記憶が薄れるように(寝ている間は、意識が身体を離れて、あちらの世界へ戻っています)、または、霊能者が、セッションの内容をあまり細かく覚えていられないように、
霊的な領域との重なりが大きい意識での思考は、こちらの世界の出来事と同じようには記憶に残りにくいものなのです。
記憶に定着しやすいように、人を介している。
なぜ、「誰かのひと言」という形を通して、これらのヒントがもたらされるのか。
それは、大事なことを印象深く伝えるためではないかと、私は思っています。
自分の内的な思考を通して、同様の気づきが起こることもあるけれど、自分の思考のみでは、先に説明したとおりのしくみで記憶が流れていきやすいです。
けれど、自分以外の「誰かの言葉」であれば、その人自身の印象や、その人の声としての記憶になりますから、普段の自分の思考との違いがつくこともあり、記憶が比較的残りやすいのでしょう。
それが、「誰かのひと言が、気づきになる」という形をとっている、意味だろうと思います。
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