存在がありがたい、と考えてみる。

たとえばご家族やパートナーに、「○○をしてくれないことが不満だ」、という悩みや怒りをもっている方は少なくないようです。

しかし、相手に求めすぎては不満ばかりが募ります。

してくれて当然、という考え方は「求めすぎ」ている。

親しい間柄は遠慮がなくなり、自分のために相手が配慮を「してくれて当然」、気配りや親切を「してくれるのが普通で、してくれないのは相手の怠惰と、自分への手抜き」と、わがままになってしまうことがあります。

「すべきことなのに、してくれない」のと、「自分のしてほしいことを、相手がしてくれない」のは違いますよね。前者ならわかりますが、後者であれば、内容によっては自分のほうが求めすぎなのかもしれません。

ここは冷静になって、考えてみる必要があります。

いてくれてありがたい、と考えてみる。

正統な求めなのか、過剰な求めなのか、なかなか判断がつかないこともあるでしょう。または、冷静に考えてみたところ、やはり相手があまりにも何もしてくれないので、自分の求めすぎではないようだという結論になることもあるでしょう。

そういうときは「してくれないこと」への不満はひとまずおいて、相手が「いてくれること」の価値に目を向けてみたらいいと思います。

いてくれるだけでありがたい、いてくれることが助けになるという場合も多々あるはずなのです。そのことも、いてくれるのは普通と思ってしまいがちですが、本当はありがたいことなんですよね。

してくれない不満が大きくなるときは、いてくれているありがたさを、忘れているときです。

してもらえたら、ありがたい。
いてもらえるのも、ありがたい。

なかなか、そこまで達観できないけれども笑、そのように考えていけたら、不満は薄れていき、穏やかでいられるのでしょうね。

まあ、難しいですけれどね。

意識的にそう考えるようにしてみることも大事かなと思います。

それに、自分が変わると相手も緩やかに変わっていくものでもありますし。

コメント

  1. mako より:

    失ってみて初めて「いてくれることがありがたかったのに、なんでいろいろ求めてしまったんだろう」と後悔したことがあります。
    いてくれるありがたさを忘れないでいると、してくれるありがたさはより倍増するような気がします。

    周りをよく見渡してみると、いてくれるだけでありがたい人はたくさんいるもんだと、歳をとってやっと気づきました(^_^;)

    • リカコ リカコ より:

      いてくれているありがたさを認識していると、
      してくれているありがたさの実感も大きくなるというのは、
      おっしゃるとおりだと思います。

      知らない人ですらも、誰かがいるという存在感の安心も、あるくらいですし。
      親しい人ならなおのこと、与えてくれているものはいろいろある、ということですね。