他人に尽くすポジションで、安心感を得ようとしている。

「自分が、他人の犠牲になっている状態が、不安を静めることとなり、とても安心する」人がいます。無意識ではあるのでしょうが、このような感情や価値観があるため、自分を解放したり楽になったりすることを許可できないまま、苦しい生き方をしてしまうことがあります。

このタイプの方は、「他人を優先するのが正しいこと」、「自分を大事にするよりも、自分以外の周囲を大事にすることが、望ましいはず」という思いをもっています。

そのため、自分が楽しんだり喜んだりすることが、自分の思う「正しさ」から、外れている認識になるので、いつも張り詰めていて緊張していて、力を抜くことも楽しむこともできません。

人のため・・・というよりも「自分を安心させるために、犠牲的になっている」という部分もあるのですが、そちらは心の深いところにあって、自分でも気づいていない思いなのです。

歓迎されるので、アンバランスに気づかない。

人のために努力したり尽くしたりするのは、悪いことではないため、どちらかといえば歓迎され尊敬される事柄なので、とても大変で消耗しているのに、その姿勢を見直す考え方になりにくいものです。

そして、(本当は自分からそうしているのだけれども)他人のせいで自分が犠牲になって大変になっているという認識であればなおのこと「自分の姿勢を見直す」という必要性には気づきにくいです。

しかし、過剰になってバランスが崩れていくと、どこかの時点で立ち止まらさせれて、気づかされることになります。

してもらえる相手はよくても、してあげる側の自分が、どこかの時点で息切れすることになり、その状況をまねいている自分自身を見つめ直す、という形で気づきの機会を与えられます。

そのときに、

自分がとても不安なので、自分を安心させるために犠牲的になっている、してあげるポジションに自分を置きたくなっているということに、気づけるかどうか。

ここが難しいのですが・・・、不安感を解消したくて、そうなっていることに気づくと、掛け違えたボタンが順番にととのっていくように今までと違う理解の幅がでてきます。

安心したくてやっているのに、消耗して疲弊してまったく安心できなくなっているならば、

その方法は(過去はそれでよかったかもしれないが、少なくとも今は)目的とあっていない方法をとっていることになります。

そのことに気づくのは、心理的な抵抗感がかなりあるので苦しいのですが、このことに気づくと確実に一段、ステップアップができるでしょう。

自分のためにも相手のためにも、どう在ることが最善であるか、今までと違うとらえ方ができるようになるはずです。

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