加害者になるかもという怖れが、行き過ぎた完璧主義になる。

すべてにおいて、きちんと完璧になしとげようと取り組む人は、「他人の手をわずらわせることのない、自立していて、向上心あふれる、お手本のような人」にみえます。

どの要素も、ひとつひとつは望ましく、理想的で立派です。

けれど、何事もバランスが大事で、完璧主義がきすぎても、どこかにそのしわ寄せがくるものです。

きちんとするのも、適度の範囲がよいのです。あまりに頑張り過ぎても、常に緊張していることで自分が消耗しますし、そうなると、他人へもしわよせがでてしまうこともあります。

多くの場合、完璧主義の人は、自分に負荷が掛かることはあまり気にならず、むしろ、自分がきちんとできないことで、誰かに迷惑をかけることのほうがずっと苦しくなります。だからこそ、どこまでも頑張ってしまうのです。

逆にいうと、「自分のせいで、他人に負担を掛けてしまうことが苦手な人が、その苦しいシチュエーションになることを避けて、自分を守るために、過剰なまでの完璧主義になってしまう」ということです。

これは、被害妄想ならぬ、加害妄想とでもいばいいのでしょうか、自分が(相手に迷惑を掛ける、負担を掛けるという)加害者になるかもしれない、それがとても恐ろしいので、可能性の芽をつむために、すべてを完璧にやりたくなります。

その人が思っている、加害?の程度など、実際のところはたいしたことはない、お互いさまの範囲内のことなのですが。

なるべく自分のことで負担をかけないようにという心掛けは立派です。しかし、少し、緩みをもっていくことも必要です。

なぜ、加害者になるのが、そこまで嫌かというと、相手を思いやる優しい気持ちが大きい人と、そして、自分が他人に迷惑を掛けるような人でありたくない、そうして低く見られるのが嫌だ、という、プライドが高すぎる場合が多いですね。どちらか一方だけ、というのは少なく、両方が掛け合わされていることが多いようです。

この世は、学びの場所ですから、完璧・完全な人は誰もいなくて、どんなにがんばろうとも「必ず」抜けてしまうところは出てきます。

そういう前提で、誰もが、学んでいる途中なのだから、という気持ちを、自分自身にも向けていけると、自分にも、周囲にいる他人にも、良い影響が出ていくことが多いです。

集団の輪の中で、ひとりだけが、過剰な完璧主義になっていると、周囲の人もなんとなく巻き込まれて緊張感の中に置かれるためか、特にこれといった原因がなくても、人間関係がいつもばたばたしていて落ち着かない、という状況を招いてしまうこともあります。

そうなったら、せっかくの配慮が、逆効果になってしまいますよね。そう考えれば、過剰になる気持ちを、緩めていくこともできるのではないでしょうか。

適度の範囲の発揮であれば、どの要素も素晴らしいこと。

そのことは変わらないのですから。

楽になりましょう。

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