人が集まってつくられる、その「場」のエネルギー。

たとえば会議室などの、閉ざされた空間に入ったときに「少し前まで、ここに誰かいたのだろうな」と、なんとなくわかることがあるものです。

その場に、自分自身や、今いる人とは違うエネルギーが「ある」ことがふと感じられ、「立ち去ってから、そんなに時間は経っていないようだ」ということもわかったりとか。

既に、その場所から移動している人が放ったエネルギーが、残り香のように存在していることを、別の人が認識することができるなら、

人が放っているエネルギーは、その人から切り離されて、エネルギー単体として、空間に存在していることになりますよね。

会議室のたとえは、時間の経過で薄れていったり、新たな人がくればそちらのエネルギーが上書きされていったりする、ほんの一時だけのものですが、

たくさんの人のエネルギーが、長い時間をかけて積み重なっていけば、それが「場所のエネルギー」になることもあります。

学校の「校風」、会社の「社風」といわれるものや、「あの地域はとても活気がある雰囲気だ」「あの建物内は気持ちが落ちつくね」などという印象は、こうした「人のエネルギー」による作用も含まれるのです。

土地そのもの、建物そのものがもつ、環境や自然のエネルギーもありますから、人のエネルギーがすべてではないですけれどね。

以前に書いた記事の、

「同じ目的をもつ人が集まる場所」が、力を与えてくれる。
「自宅で本を読むより、図書館で読むほうが、気分が乗って集中して読める」という経験を持つ人は少なくないと思います。 「スーパーの食品売り場にいくと、お腹がすいていなくても、...

こちらも、同様のしくみなのだろうと思います。

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