家族は、それぞれ別の個性を持った、別のたましいの集まりです。

家族、血縁というとても近い関係であっても、もとは、「それぞれ別のたましい」であり、別の個性を備えていますから、気持ちが通じ合わなくなることもあれば、意見が対立して揉め事になることもあります。

その対立の度合が、深刻なものであるか、些細なものであるか、という差はあっても、どこのご家庭にとっても、「日常、よくあること」のひとつ、だと思います。

親しくない間柄にいては、「それぞれ、別の個性をそなえている、別の人間」であると、とらえていくのは難しくないので、ときに、相手が自分の思い通りの言動をしなくて、イライラすることはあっても、それなりに割り切って考えられるものです。

けれど、家族というのは、近いゆえに、他人には難しくない割り切りが、うまくできないことがあります。

家族なのだから分かるはず、いつも一緒にいるのだから私のことを理解してくれているはず、という前提と、そうあってほしいという期待もあるので、「家族といえども、別のたましいである」という前提をわすれて、どうして相手は自分の思うとおりにしないのか、家族なのに理解をしてくれないのか、家族なのだから分かってくれて当然のはずなのに・・・と、不満がつのります。

家族といえども、個性には違いがあり、考え方や価値感が同じにはならない、という理解を、改めてしていくことも、大切ではないでしょうか。

そして同時に、それぞれ別のたましいである、とはいえ、今回の人生で、縁あって集まったわけですから、お互いに、尊重しあい、違いを認め合うことも必要ですね。

違いがあるから、それぞれ好き勝手をしてもいい、ということではなく、その上で助け合い、お互いを思い合っていくという、協力や調和の姿勢をとることです。

自分はそうしたくても、家族が勝手だからできない、などと諦めてしまわずに、家族の態度はどうあれ、「まずは、自分が変わる」「自分が、あるべき姿を体現していく」という行動を示してみてはどうでしょう。

お互いを認め合い、信頼し合うという態度とはどのようなものであるか、まずは自己分析をして、その答えを、自分の生き方にあらわしてみましょう。そうすると、きっと、家族にも、何らかの変化がみられるでしょう。

自分が変わることで、相手に影響を与える、という方法が、一番効果的である対象は、とても近い距離の関係であり、なんだかんだ言っていっても、お互いを愛している「家族」だと思います。

コメント