物が壊れることに、スピリチュアル的な意味があるのか。

突然、持ち物が「壊れた」「破れた」「切れた」ことが、何かスピリチュアルな意味を含んだ示唆なのだろうかと、ご相談をいただくことがあります。

この世で起こることはすべて、何らかの意味があり、学びがあると、スピリチュアルな観点からとらえるならば、確かにちょっと気になるところではあると思います。

結論からいえば、スピリチュアル的な意味をもつ場合もあるけれど、

殊更に「否定的にとらえる必要はない」ですね。

気になる点は、壊れたり、切れたりすることは、災いが自分に降りかかる前ぶれではという不安なのだと思いますが、そうとは限らないし、そうでないケースのほうがずっと多いからです。

物は、「固定されている」「固いもの」というイメージがあるので、突然に、壊れるとか、切れるという現象が起こると、壊れるはずのないものがいきなり壊れたような感覚が生じてしまうけれど、

物は、消耗が起こりやすいです。

たくさんのエネルギー的な刺激を受けると、それによって消耗していき、壊れたり、切れたりすることは起こりやすくなります。

人の場合は、この点が違っていて、

人は、回復がはかられます

たくさんのエネルギー的な刺激をうけても、(一時的には消耗しますが)ゆっくり休んだり、睡眠をとったりすればエネルギーがチャージされて回復します。

むしろ、刺激の効果で、自分の力が大きくなることもありますね。

物は、人のように、回復したり、力が大きくなっていく性質をもたないですから、表面的にはかわらないように見えても、刺激が重なれば、消耗も蓄積していきます。

何かのエネルギー的な作用や刺激が大きいときに、物が壊れる現象はあり、しかし、否定的なあらわれとは限らず、

大部分は、単なる「消耗の結果」だということです。

自分自身が、たくさんの行動をとったり、感動したり、気づいたり、エネルギーの動きを大きく体現して、躍動感や活気にみちているときにも

物に影響がでることは、エネルギーのしくみとしてありえますから、

ひとつの現象として、そのままをとらえていけばいいと思います。

私はときどきスポーツクラブにいきますが、マシンが故障することに、こうしたエネルギーの影響を大きく感じます。物理的な動きの消耗や摩耗ももちろんあるでしょうけれど、それだけではなさそうな・・・。やる気、活気、行動力がいっぱいの人が集まる場所ですから、大勢が発するエネルギーの作用もあるのだろうな、と。

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