たましいの年齢がいろいろな人が、学び合っている。

この世での物質的な、肉体上の年齢とは別の、

たましいの年齢というものがあって、

これまでに何度も生まれ変わって、以前にもたくさんの人生の経験をもっていてその経験値が、グループソウルという「たましいの大元」に備わっている人は、

ものごとのとらえ方、認識や解釈の仕方に「深さ」があるものです。

あるものごとに対して、「自分の感情」や「自分の感覚」という主観的で内的なものばかりに偏ることなく、

相手の立場になって考えたり、客観的な視点で眺めるように、扱ったり、とらえたりできるという、総合的なバランス感覚というのは、

たましいの領域にある、これまでの経験値(前世の経験など)がいかされています。

たとえば、今世での経験ははじめてのことでも、たましいの経験値に、同様のものがあれば、「こういうケースは、こんなふうに対処するといい」という知恵をいかすことができます。

まったく同じではなくても、似たケースから応用したり、推察したりすることもできますし、

または、これまでの経験値で、逆の立場になったことがあれば、「今の自分はAを望んでいるが、相手の立場ならBにしたいだろうなあ」ということが、自然とわかってきたりもします。

思考も感覚も、瞬間的な「反応」のように起こることが多いので、そこまで文章化したような、ああなって、こうなって、という思考をめぐらせるわけではないでしょうけれど、

瞬間的な解釈の中にも、そうした経験値が反映されていくので、たましいの年齢が多い人の解釈というのは、「幅広い」くなり「深く」なるものなのです。

肉体の年齢は、生まれた時点でゼロからのスタートですが、

たましいの年齢は、生まれる前から存在している、たましいの領域にあるものなので、この「2つの年齢」は、比例するとは限らず、

自分より年上でも、感性が幼い人もいますし、自分より若くても、幅広さや深さを感じさせる、大人な感性の持ち主もいるものです。

そうした「いろいろ」な位置の人が混在しているからこそ、刺激があって学びになるんですよね。

私自身も、これまでの人生を振り返ると、たましいの深さを感じさせる人と、たくさん出会ってきたなあと思います。その人たちの姿勢から学ばされたことは多かったですし、未だに思い出すこともあります。

同じではないから、違いがあるから、わかることは多々あり、

この世とは、そうして学ぶことができる素晴らしい場所ですね。

誰もが、人間関係の「いろいろ」には、悩まされるし、イライラさせられるし、ビックリさせられることも多々あるとしても、

それでも、人と関わる学びの機会は、本当に素晴らしいものです。

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