記憶は薄れても、エネルギーとして存在し続ける。

新しい知識が増えたり、新しい行動をして身についたことがあったりして、「これはいいことを知った」「今後に役立てていこう」と、そのときは思うものの、

頻繁に使わない知識であれば、その「記憶」も「印象」も、時間とともに薄れていくものですよね。

しかし、表面的な意識の上では、記憶も印象も薄れていき、忘れてしまうものも出てくるとしても、

たましいの「経験という貯蔵庫」には、すべてがしっかりと刻まれていき、こちらは薄れたり忘れたりすることなく、エネルギーとして存在し続けることになります。

そして、ちゃんと役立ちます。

たとえば、ある事柄の全体像を把握しなければならない時に、その一部となる「情報のピース」として、調べる手間を省いたり、推察することを助けたりという形で。

私の経験でいえば、大人になってから時代劇の「水戸黄門」見ていたときに、小学校の授業で先生が話していた、教科書にのっていない雑談的な内容をいきなり思い出して、その場面の理解が深まったことがあります。

それまで、まったく思い出すこともなかった記憶がいきなり引き出されたので、自分でも「そんなこと、よく覚えていたものだ」と、今でも印象深いです。

背景がわかると、ストーリーを追っていくことも面白くなるので、さらに知りたいと思ったり、熱心に見たりするようになりますし。

これはわかりやすい一例をあげたのですが、日常の中で、こうした結びつきはいろいろ起こっていて、

知識を補完して理解を深くしたり、理解を深くすることで関心を大きいものにしたり、いろいろな形で過去と今が繋がって、「わかる」ことの「奥行き」を作り出しています。

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